その他文学

2018年12月26日

温泉旅行 3日目


旅行最後の日である。

さすがに眠れた。

朝ぶろに入り、食事をとり、帰り支度。

帰る前に、おかみさんと立ち話。

原発事故以来客は減ったけれど、夏などは、常磐ハワイアンセンタに来た泊り客で満室になるそうで、経営は成り立っているらしい。

それよりも、客がいいお湯だと言ってくれたり、食事がおいしかったと喜んでくれることが、うれしいとおっしゃっていた。

そうか、それで、食事があんなに豪華だったのだ。

まあ、金もうけだけでなく、仕事の喜びってのはそんなところだよな。


車で、以前3人で泊まった宿に向かう。

今回もこの宿に泊まるつもりだったが、旅館はやめてしまったのか、ネットで探しても、見つからなかったと萩原。

心配である。

簡単に行けると思っていたが、迷ってしまった。

いつものように、私は全く記憶にない。

2人とナビが頼りだが、どうもうまく行かない。

ナビも機密の施設でもあるのか、場所によって道を示さなくなる。

結局2人の記憶で、どうにか行き着いた。

お世話になった老夫婦と対面する。

あの時も、原発事故以降、客が減って大変だとおっしゃっていたけれど、結局旅館はやめてしまったとのことであった。

原発事故は、長期間にわたって影響を残すから、通常の災害とは異なる。

今回の原発事故は、人々の生活をめちゃめちゃにした。



「くさのね食堂」で昼食を食べる。

この前、安くておいしいカニに感動し、また食いたいと思っていたが、季節ではないとのことで、残念。

有名な店らしく、お客でいっぱいだった。


土産に『薄皮まんじゅう』を買おうと意見が一致。

さて向かう。

またわからなくなる。

通りがかった消防署の前で、署員が2人機材を整備していた。

道を、教えてもらった。

「橋を渡ってすぐを右に曲がっていけばわかりますよ」とのことであった。

「薄皮まんじゅうおいしいですよね」「ママドールもおいしいですよ、ぜひ食べてください」と教えてもらう。


教えられたとおりに走らせていたが、2人がどうも違うと言い出した。

私は全く分からないので、途中で左に曲がる。

これがいけなかった。あとでわかったが、そのまま行っていれば着いたのである。

苦しんだがどうにか着いた。

土産を買って、店員さんに、ママドールの話をすると、うちの店ではなく、隣の店で売っているとのことであった。

このような時の対応は、すべて水野がやる。話が旨いし、そつがない。

若いころ、トップセールスマンであったのがよくわかる。

才能だね。

私?全然ダメ。

萩原もあまり得意ではない。まあ、彼はいい職人である。


ママドールも買って、高速で帰途に就く。

晴れて明るい。ドブネズミには、つらい運転である。

しばらく走った時である。

「おい、そっちに行くんじゃないよ」と萩原の声。

左に入る方向に寄って行ったらしい。

元に戻して、「居眠りしてた、次のとこで代わってくれ」と私。


次のサービスエリアで、萩原に交替してもらった。

明るいし、突然襲ってきた睡魔に勝てなかった。

後部座席で少し眠ったらしい。

萩原が1時間ほど運転してくれた。

夕暮れになっていた。

ドブネズミが生き生きする時間である。

あとは私が運転する。

水野も運転はうまいが、半病人だから、今回運転は頼まなかった。

帰り道だったと思うが、萩原が、「わかった、下村、ナビを全然見てないよ」と言った。

私は驚いた。

当然じゃねーか。ナビなんか見てない。今頃気が付いたのかよ。

おれ運転する人、お前たち方向を指示する人。

うまく行ってんじゃないの?



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2018年12月19日

温泉旅行 2日目


2日目、一睡もしていないと思っていた。

朝、水野が、「お前すぐに寝たな、話しかけても返事がなかった」という。

ん、、、なんだ?

先に眠ったのは、水野じゃないのか。



昨晩、布団を敷いたあと、萩原はすぐに眠った。

水野と私は話をしていた。

二人とも不眠症である。

私の不眠症は、小学生からだ。

家族が寝静まったあと、暗闇に一人、30分ごとに鳴る柱時計のボンを聞きながら、眠れない夜をすごすのは、つらいことだった。

7,8時間は寝なければ、次の一日、ボーとして、何も手につかない。

だから、早く寝なくてはとあせるのである。

特に高校時代がひどく、昼間から、今日は寝られるだろうかと心配になるほどであった。



水野は違う。もっとアグレッシブな理由からだ。

若いころ、活動している昼の生活が大好きで、寝ている時間は無駄だと思っていたそうである。

寝ることは嫌いだったと言う。

眠たくなければ、なるたけ起きていて、何かをしていた。

3,4時間も寝れば、次の日の活動には支障がない、そういう体だったのだろう。

人によって違うものだ。



そうだ、私が先に眠ったという水野の話だ。

私に眠った自覚はない。

水野が話していないから、先に眠ったのだと思っていた。

彼が話しかけたとき、私は気絶状態であったのかもしれない。

眠りを意識できなかった。



そういえば、こんなことがあった。

明け方まで眠れずにいた。まだ暗かった。

朝7時ごろ、気がつくとほかの2人は目覚めていた。

暗いから明るいに急に変わったにもかかわらず、私には、眠ったという自覚がないのである。

ずっと起きていたように思っていた。

しかし、おかしい。

暗いのが一瞬にして明るくなるはずがない。

論理的に考えると、眠っていた(気絶していた)と考えるしかない。

こういうこともあるのか。初めての経験である。

いや、今までもあったのかもしれない。


3人で朝ぶろ。

朝食後、車で出かける。

ただ、寝不足で、気分が悪い。

最初は運転をしていたが、明るい中での運転はどうもいやである。

コンビニに寄った際、萩原に運転をかわってもらった。

私は後部座席だ。横になる。

富岡の駅に行った。

イメージ 1

イメージ 2

綺麗にはなっていたが、閑散としている。人がいない。

一日当たりの乗車客が、2010年の474人から、2017年の86人に減少しているのだから当然だ。

原発事故は地域を破壊する。


帰り道、寝不足のせいで、気持ちが悪くなっていた。

このような時は、口に指を突っ込み、のどちんこの辺りをかき混ぜて、吐く。

立ち寄った店のトイレで実行した。

うん、回復。いつものことだ。

回復したし、薄暗くなってドブネズミの時間になった。

私が運転する。


宿に帰ると、新しい泊り客があった。

若夫婦と子供二人である。

旅館内が、急に華やぐ。

風呂に入り、食事をする。

食事、きのうと同様豪華だった。

きのうが特別かと思ったが、これが普通らしい。

福島、食べ物がうまい。


つづく






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2018年12月17日

温泉旅行

11月初め、温泉旅行に旅立った。

旅といっても、2泊3日の小旅行である。

3人旅である。高校時代の同級生。

その一人の萩原がすべての計画を立ててくれた。

真空管オーディオフェアのチラシは彼が全部作ってくれている。

もう一人の水野も、損保会館から締め出され、ホテルマイステイズ御茶ノ水で単独開催することになった私を気遣い、萩原と二人ビラまきをしてくれた友人である。

前回ブログに書いた水野の睡眠薬依存症の治療の一助になるならと今回の温泉旅行を計画した。

まあ、それは建前というもので、ちょっと骨抜きをしようってことである。


ホテルは嫌いである。

密閉感がねえ、どうにも好きになれねえ。

旅館がいい。屋根が付いていれば十分である。

萩原が捜してくれた。

福島の旅館で、一泊2食付一万円以下ってのを見つけてくれた。

萩原が予約した。


さて出発である。

萩原の会社に集まり、金曜午後3時に出発。

車は萩原の会社の車クラウン。

運転は私、下村の役目。

後部座席に水野、助手席に萩原、私に意志はない、二人の指図に従い運転に集中する。

三人の中で、方向感覚の当てにならないのは、断トツで私だ。

二人は、大変良い。任せるのが当たり前である。


ドブネズミ的性格の私は、明るい昼間の運転が苦手である。

夕方や夜の運転が好きだ。

曇っているし、午後3時からの運転、いいねえ。


一度の休憩をはさんで、常磐道をまっしぐら。

半病人の水野も、後ろの席で大丈夫そうである。

6時の到着予定がちょっと遅れる。

萩原が、旅館に電話して、遅れる旨伝える。

高速を降りて、どのくらい走ったろうか。

私はみぎ、ひだりの指図通りに走っているだけだから、とんと記憶にない。


旅館の近くに来ている。

細い道だ。ナビで旅館の位置はわかるが、道はナビに載っていない。

どうやら、通り過ぎたようだ。

萩原が旅館に電話する。

旅館の人が、懐中電灯を振ってくれているようだ。

私には見えなかった。

二人が相談しながら、みぎひだりと指図する。




ひどく狭い道を通って、旅館の前に出た。

なかなか大きな旅館だった。石屋旅館。

屋根もついている。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

遅れたことを謝し、おかみさんに案内され、2階の部屋に入る。

12畳ほどの角部屋である。さらに、窓と障子で仕切られた板の間に、イスとテーブルが置いてある。タバコ部屋にちょうどいい。

あとでわかったが、この日の客は私たちだけであった。



食事である。

1階の広間での食事

何だこりゃ、やけに豪華じゃん。

いいのかね、こんな安い料金で。

旨かった。



続いて風呂、鉱泉だそうである。

薬効成分のある湧水を沸かした温泉とのことだ。

サラサラのお湯なのに、風呂に入り、肌に触れると、表面に油を垂らしたかのようにつるつるする。

風呂からでるとつるつるは消える。

なかなか気持ちいい。

主役の水野も気分よさそうである。


12時ごろ床に就く。

朝7時ごろ寝て、午後2時ごろ起きる生活をしている私にとって、これが最大の試練である。

もちろん、睡眠導入剤[睡眠薬]を飲んだが、効いたようには思えなかった。



つづく







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2017年08月10日

おすすめ、「友人列伝」

前回の「日帰り旅行」を読んだ友人が、面白かったと絶賛してくれました。

この種の話は、「友人列伝」としてまとめてあります。

10年ほど前の「自己紹介」から始まります。

興味のある方は、どうぞお読みください。


100話以上入っています。

リンクでは、どうしてもすべての記事になるようです。

「emailの窓」は、「欧米人」「オーディオ」「友人列伝」の三つの書庫に分かれています。

「友人列伝」の書庫を選べば、この種の話だけを読むことができます。






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2017年08月01日

日帰り旅行 遠州大念仏 その3


大念仏が始まった。

あとから分かったが、友人からここに座れと通された場所は、サンルームになっていて、太鼓を鳴らしながら踊るのを真正面から見る特等席だった。

一列になって通り過ぎる演者の衣装を見て、驚いた。

次郎長一家と見まごういでたちであった。

浴衣を端折り、たすきをかけ、三度笠を被る。

歴史からすると大念仏のほうが古いから、渡世人がこちらの真似をしたのかもしれない。

森の石松が出てきて、余計なことを言いそうである。

「おおお・・・、おめえ、・・・おおお・・・おくれて来たんだってなあ」



5,6人が太鼓を置いて、サンルームの正面で演奏を始めた。

体を4分の3回転させ、戻しながら太鼓をたたく、その動作をいつまでも続ける。

三度笠が、体の回転以上に回る。

途切れた状態があるのに、良く音が合う。

どのぐらいの時間だったろう。かなり長く感じた。しかし飽きることはなかった。

体力が必要である。

女性もいる。

そういえば、演者はみな若い。



終わった。

演じていた人たちも、外のテーブルに載せられたふるまいの酒肴で宴会をしている。

東京からの友人が、焼香したらと声をかけてくれたので、祭壇の正面に向かって手を合わせようとした。

「違う、こっちだよ」と友人。

なるほど、祭壇の横に、遺影が飾ってあり、ろうそく線香が供えてある。

つくづく、俺はだめな人間だなと思う。

常識というものが抜けている。



終わったと思っていた大念仏、終わってはいなかった。

休憩だったのである。

今度は、太鼓を持って踊りだした。

すごい体力である。

延々と続く。

前半と同じ人たちかと思っていたが、休憩中に交替したとのことであった。

そうだろう、大した運動量である。


前半と同じくらいの長い時間、演奏して、太鼓を先頭に右にはけてゆく、鉦、歌い手等、総勢20人ほどが踊りながら退場した。

遠州大念仏は、国の無形文化財に指定されているというが、素人の私が見ても、なかなかのものであった。

訓練だけでも、これを維持するのは大変だろう。

良いものを見た。



さて、外の駐車場で、主催者の友人が、胡麻焚きのように、小さな木片を交互に積み上げ、たき火を始めた。

その上に太い竹を乗っけた。

竹が爆(は)ぜるのを待つのだそうだ。

経験のない私は、それがどのくらいの爆発であるか想像つかない。

手で竹の位置を変えているから、大した爆発ではないのであろう。

初盆のお母さまを送る風習らしい。

かなりの時間がたっても、なかなか爆ぜない。

爆ぜないで終わることもあるらしい。



参会者に、ダメかとあきらめの雰囲気が出てきていた。

多くの人たちがいる中、はしゃいだ友人の孫が変身のポーズから、きめ台詞らしい言葉を発した時である。

ボン、と爆ぜた。

なるほど、良い音である。

孫が導いたようでもある。

終わりの合図にふさわしい。


散会した。

東京から来たもう一人の友人は、早く帰らなければならないらしく先に帰って行った。

私はもう少しいる。

友人は泊まって行けと言うが、夜眠ることができないだろうから、最終の新幹線で帰ることにする。

普通の生活ができないものはこのような時不自由である。



友人が浜松駅まで送ってくれた。

30分ほど時間がある。

乗車券の自動販売機にトライしてみる気分になった。

自動販売機も人を見て、とろい奴だ、からかってやれと思うんじゃないかと、私はなるべく近づかないようにしていたのだ。

できるだけ厳しい表情を作り、やってみた。

何だ簡単じゃねーか。

厳しい表情が効いたね。


終わり。












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