友人列伝
2021年04月10日
ひと文字の違い
毎日のように通う近所のスーパーで、ん?変だと感じた。
コロナの注意喚起を呼びかける館内放送に関してである。
体の不調を感じた際は、「無理にご来店はひかえ」と言っている。
これ、「無理なご来店はひかえ」じゃないかなと、体がむずむずするのである。
無理の後の「に」と「な」の違いだけである。
まあ、意図が違って伝わるわけではないので、何も言わずにいる。
ここで、かつてラジオで聴いてひどく感心した話を思い出す。
「てにをは(助詞)」の乱れを憂いた女子高の男性教師の話である。
彼は、「てにおは」の乱れが憂慮すべき事柄であることを示す良い例はないかと考え、最適な例を思いつく。
そこで、女子生徒の前で問いかけたのである。
「五本の指に入る女」と「五本の指が入る女」、君たちはどちらの女になりたいと思うか。
指の後の「に」と「が」ひと文字の違いだけである。
この場合、意味は全く異なる。
前者は、とびぬけていい女を表し、後者は、映像としてイメージすべき女を表す。
なるほど、この例のように日本語は、助詞ひと文字で全く意味が違ってくるから、「てにをは」の乱れは憂慮すべき事柄である。
ちなみに、「五本の指が入る女」になりたい女子高生がいたかどうかまでは言及されてはいなかった。
将来、AVに出演することを夢見る女子高生なら、そうなりたいと思ったかもしれない。
GTKaudio
コロナの注意喚起を呼びかける館内放送に関してである。
体の不調を感じた際は、「無理にご来店はひかえ」と言っている。
これ、「無理なご来店はひかえ」じゃないかなと、体がむずむずするのである。
無理の後の「に」と「な」の違いだけである。
まあ、意図が違って伝わるわけではないので、何も言わずにいる。
ここで、かつてラジオで聴いてひどく感心した話を思い出す。
「てにをは(助詞)」の乱れを憂いた女子高の男性教師の話である。
彼は、「てにおは」の乱れが憂慮すべき事柄であることを示す良い例はないかと考え、最適な例を思いつく。
そこで、女子生徒の前で問いかけたのである。
「五本の指に入る女」と「五本の指が入る女」、君たちはどちらの女になりたいと思うか。
指の後の「に」と「が」ひと文字の違いだけである。
この場合、意味は全く異なる。
前者は、とびぬけていい女を表し、後者は、映像としてイメージすべき女を表す。
なるほど、この例のように日本語は、助詞ひと文字で全く意味が違ってくるから、「てにをは」の乱れは憂慮すべき事柄である。
ちなみに、「五本の指が入る女」になりたい女子高生がいたかどうかまでは言及されてはいなかった。
将来、AVに出演することを夢見る女子高生なら、そうなりたいと思ったかもしれない。
GTKaudio
gtkaudio at 06:12|Permalink│Comments(0)
2019年11月22日
絵画展
高校時代の友人から電話があった。
絵画展を観に行こうという。
関東ではあるが、私が住む東京ではない、ある県主催の絵画展である。
主要な絵画展といえば、東京で開催される。
わざわざ、県主催の絵画展に誘うのはどうしてかがわからなかった。
それに、絵画はよくわからないと常々言っている私を誘うのもおかしい。
もっと適任者がいるだろうにと思った。
遠出を好まない私である。通常なら断るところである。
ただ断りにくい事情があった。
友人、ここ数年精神的落ち込みが激しく、私たち友人との付き合いも遮断し、電話にさえ出ない状態が続いていた。
この頃ようやく回復し、少しづつ会う機会もとれるようになってきていた。
断って、また落ち込んでしまうのもつらいことである。
承諾した。
わざわざ車で迎えに来て、乗せていってくれるそうである。
今週の日曜午前10時前に迎えに来てくれた。
会場までは、3時間弱の行程である。すべて友人が運転した。
車中では、ずーっと話をしていた。高校時代からの付き合いである、話題が尽きることはない。
さて県の美術館に到着した。
有料ではあったけれど、友人が招待券を持っていたので、そのまま入場できた。
洋画、日本画、彫刻の部門に分かれていた。
有名画家の絵画展かと思っていたが、そうではないようだった。
洋画の展示された2階に行った。すべて友人任せである。
門外漢の私に絵画を説明してくれるのかと思ったが、そうでもなかった。
ただ観始めた。
しばらくすると、説明どころか、友人どっかに消えてしまった。
特選だとか、優賞だとかの札の貼ってあるものがある。
さらに、委員、会員、会友と書いてあるものと、何も書いてないものがあった。
私には、絵画の優劣などさっぱりわからない。
形象認識の苦手な私にとって、どうも絵画はわからない。
わからないというのは、説明できないというのとは違う。
芸能芸術の部門において、大切なものは感じることであると私は思っている。
解説を読んだり他人の意見を聞いたりすることで、理解することが本質であるとは思っていない。
その良さを言葉で説明できなければ、芸能芸術がわかっていないということにはならない。
自分でもわからないのに感動するってこともある。
感動すれば、説明など必要としない。
問題は感動する能力があるかどうかということである。
さらに言えば、芸能芸術は、知的なものというよりも、獣的なものであると思っている。
解説をとうとうとしゃべる奴に出くわし、なんだこいつわかってないのじゃないかと感じることがしばしばある。
さてと、残念ながら絵画に関して、私には感じる能力がない。
おそらく多くの絵画を観る経験を積み重ねていたなら、感じることができたかもしれない。
ただ、今回観ていて感じたことは、これらの絵を描いた人たちにとって、描くこと自体至福の時間だったのではないかということである。
その面から言えば、うまいへたなんて関係ないね。
観始めてしばらくすると、もしかしてという気分になってきた。
なんで友人が私をこの展覧会に連れてきたかについてである。
友人の絵が展示されているのではないか。
それからは、注意して作家名を見ることにした。
一つ一つ確認したはずであった。全部見終わってしまった。
ない。
絵の枚数は多く、もう一度全部を確認するのはつらい。
出品者名のリストかなんかはないのか。
一周回って、洋画展示の入り口にまた来た。
入り口左手に、なんか紙が貼ってある。
なんだ、出品者名簿だぜ。
どうだ、奴の名前はあるか。
あった。
入選していたのだ。
名簿とともに、その絵画がどの壁に貼ってあるかが番号で書かれている。
壁は長く多くの絵が貼ってあるが、全部を見直すよりはずーと楽である。
さてと。
会場案内図を見て、どの壁かを見極める。
探す。
ない。
もう一度入り口で確認する。
案内図の見方を間違えていた。基本、地図は苦手。
今度の壁は正しいはずだ。
探す。
あった。
良かった。
友人、何も言わなかったところをみると、見つけてほしかったはずである。
帰りの車の中。
「俺には絵はわからん。特選、優賞、どこがいいのかわからない。ただ、描いてるときは至福のひと時なんだろうな」
「うまく描けなくて苦しいほうが多いけどな」
「それも含めて、至福の時なんだろう」
GTKaudio
絵画展を観に行こうという。
関東ではあるが、私が住む東京ではない、ある県主催の絵画展である。
主要な絵画展といえば、東京で開催される。
わざわざ、県主催の絵画展に誘うのはどうしてかがわからなかった。
それに、絵画はよくわからないと常々言っている私を誘うのもおかしい。
もっと適任者がいるだろうにと思った。
遠出を好まない私である。通常なら断るところである。
ただ断りにくい事情があった。
友人、ここ数年精神的落ち込みが激しく、私たち友人との付き合いも遮断し、電話にさえ出ない状態が続いていた。
この頃ようやく回復し、少しづつ会う機会もとれるようになってきていた。
断って、また落ち込んでしまうのもつらいことである。
承諾した。
わざわざ車で迎えに来て、乗せていってくれるそうである。
今週の日曜午前10時前に迎えに来てくれた。
会場までは、3時間弱の行程である。すべて友人が運転した。
車中では、ずーっと話をしていた。高校時代からの付き合いである、話題が尽きることはない。
さて県の美術館に到着した。
有料ではあったけれど、友人が招待券を持っていたので、そのまま入場できた。
洋画、日本画、彫刻の部門に分かれていた。
有名画家の絵画展かと思っていたが、そうではないようだった。
洋画の展示された2階に行った。すべて友人任せである。
門外漢の私に絵画を説明してくれるのかと思ったが、そうでもなかった。
ただ観始めた。
しばらくすると、説明どころか、友人どっかに消えてしまった。
特選だとか、優賞だとかの札の貼ってあるものがある。
さらに、委員、会員、会友と書いてあるものと、何も書いてないものがあった。
私には、絵画の優劣などさっぱりわからない。
形象認識の苦手な私にとって、どうも絵画はわからない。
わからないというのは、説明できないというのとは違う。
芸能芸術の部門において、大切なものは感じることであると私は思っている。
解説を読んだり他人の意見を聞いたりすることで、理解することが本質であるとは思っていない。
その良さを言葉で説明できなければ、芸能芸術がわかっていないということにはならない。
自分でもわからないのに感動するってこともある。
感動すれば、説明など必要としない。
問題は感動する能力があるかどうかということである。
さらに言えば、芸能芸術は、知的なものというよりも、獣的なものであると思っている。
解説をとうとうとしゃべる奴に出くわし、なんだこいつわかってないのじゃないかと感じることがしばしばある。
さてと、残念ながら絵画に関して、私には感じる能力がない。
おそらく多くの絵画を観る経験を積み重ねていたなら、感じることができたかもしれない。
ただ、今回観ていて感じたことは、これらの絵を描いた人たちにとって、描くこと自体至福の時間だったのではないかということである。
その面から言えば、うまいへたなんて関係ないね。
観始めてしばらくすると、もしかしてという気分になってきた。
なんで友人が私をこの展覧会に連れてきたかについてである。
友人の絵が展示されているのではないか。
それからは、注意して作家名を見ることにした。
一つ一つ確認したはずであった。全部見終わってしまった。
ない。
絵の枚数は多く、もう一度全部を確認するのはつらい。
出品者名のリストかなんかはないのか。
一周回って、洋画展示の入り口にまた来た。
入り口左手に、なんか紙が貼ってある。
なんだ、出品者名簿だぜ。
どうだ、奴の名前はあるか。
あった。
入選していたのだ。
名簿とともに、その絵画がどの壁に貼ってあるかが番号で書かれている。
壁は長く多くの絵が貼ってあるが、全部を見直すよりはずーと楽である。
さてと。
会場案内図を見て、どの壁かを見極める。
探す。
ない。
もう一度入り口で確認する。
案内図の見方を間違えていた。基本、地図は苦手。
今度の壁は正しいはずだ。
探す。
あった。
良かった。
友人、何も言わなかったところをみると、見つけてほしかったはずである。
帰りの車の中。
「俺には絵はわからん。特選、優賞、どこがいいのかわからない。ただ、描いてるときは至福のひと時なんだろうな」
「うまく描けなくて苦しいほうが多いけどな」
「それも含めて、至福の時なんだろう」
GTKaudio
gtkaudio at 04:38|Permalink│Comments(0)
2019年11月14日
聞き違い
懇意のお客様が来店するとの電話があった。
その電話を切って一分もしないうちにまた電話がかかってきた。
大学時代の友人が上野の博物館に来ている、今から来るとのことである。
人が来るなんてあまりないことなのに、来るときは重なることが多い。
さきほども、高校時代の友人が立ち寄ったばかりである。
多分天気との関連が大きいのだ。久しぶりに晴れて暖かい。
友人とお客さん二人と私、HMVと私のシステムで音出しをし、様々なレコードを聴いているうちに日が傾いた。
友人が、食事に行こうと言い出した。
お客さんも一緒に行くという。
古石場の店の時は外食に行ったのだが、新しい店には台所がある。
冷凍食品をちょっと調理すれば、まあまあの食事が楽しめる。
チャーハンを作る。塩鮭を焼く。ぬか床からぬか漬けを取り出す。
お客さん、ぬか漬けがあまり漬かっていないと文句を言う。
うるせえ、ぬか床を作って1週間と経っていないのだ。
食事が終わり、お客さんに電話がかかってくる。
外で電話をしてくると、お客さん出て行く。
友人はレコードをかけて勝手に聴いている。
お客さん、なかなか帰ってこない。
そのまま帰っちゃったのか。
家で聴いて試してみると言っていたWharfedaleのトゥイターが入った袋があるから、帰ってくるつもりなのだろう。

そうだ、いい栗があった。圧力なべで蒸してやろう。
蓋をして蒸し始めたときである。友人帰る用意をして、やってきた。
「栗を蒸しているから、食っていけよ。圧力をかけて5分、火を止めて10分だ」
「そんなにかかるのか、時間よくわかったな」
そんなにかかるが気になる。圧力なべだからこんなに早いのに。
「今あれで見たんだ」パソコンを指さす。
さて出来上がった。ちょうどお客さんが帰ってきた。
友人、「なんだ栗じゃないか」
そういっただろ。
もごもごと、プリンという言葉を友人が発した。
うん?友人、聞き違えたか。
クリ プリン リしか合ってないじゃないか。
2文字と3文字だけど、プリンのンははっきりとしないから似ているといえばいえる。
ただね、俺はプリンなんてそんなしゃれたものとは縁遠いぜ。
そんなに時間がかかるのかといったのは、プリンだと思ったから発した言葉だったのだ。
おもしれえ奴だ。
三人で食べる。評判はいい。
先日食べたクリはイマイチだったけど、今回のは値段が高かったせいか、うまかった。
聞き間違いと言えば、おこわ事件があった。
同じ友人である。
40年ほど前、私が町田で塾を始めたころである。まだ30代初めであった。
小田急線の線路ぎわのアパートに住んでいた。
友人がやってきた。
昔の石油ストーブは鍋がかけられた。
「おこわにしようか」
「おお」
鍋をかけて湯を沸かしていた。
レトルトの赤飯おこわをぶち込んだ。
不審そうに、「何をしている」
「おこわを温めている」
「ココアじゃねーのか」
おこわ ココア これは似ている。
赤飯というべきだった。
しかし友人、よく聞き間違える。
おもしれえ。
GTKaudio
gtkaudio at 17:19|Permalink│Comments(0)
2018年12月26日
温泉旅行 3日目
旅行最後の日である。
さすがに眠れた。
朝ぶろに入り、食事をとり、帰り支度。
帰る前に、おかみさんと立ち話。
原発事故以来客は減ったけれど、夏などは、常磐ハワイアンセンタに来た泊り客で満室になるそうで、経営は成り立っているらしい。
それよりも、客がいいお湯だと言ってくれたり、食事がおいしかったと喜んでくれることが、うれしいとおっしゃっていた。
そうか、それで、食事があんなに豪華だったのだ。
まあ、金もうけだけでなく、仕事の喜びってのはそんなところだよな。
車で、以前3人で泊まった宿に向かう。
今回もこの宿に泊まるつもりだったが、旅館はやめてしまったのか、ネットで探しても、見つからなかったと萩原。
心配である。
簡単に行けると思っていたが、迷ってしまった。
いつものように、私は全く記憶にない。
2人とナビが頼りだが、どうもうまく行かない。
ナビも機密の施設でもあるのか、場所によって道を示さなくなる。
結局2人の記憶で、どうにか行き着いた。
お世話になった老夫婦と対面する。
あの時も、原発事故以降、客が減って大変だとおっしゃっていたけれど、結局旅館はやめてしまったとのことであった。
原発事故は、長期間にわたって影響を残すから、通常の災害とは異なる。
今回の原発事故は、人々の生活をめちゃめちゃにした。
「くさのね食堂」で昼食を食べる。
この前、安くておいしいカニに感動し、また食いたいと思っていたが、季節ではないとのことで、残念。
有名な店らしく、お客でいっぱいだった。
土産に『薄皮まんじゅう』を買おうと意見が一致。
さて向かう。
またわからなくなる。
通りがかった消防署の前で、署員が2人機材を整備していた。
道を、教えてもらった。
「橋を渡ってすぐを右に曲がっていけばわかりますよ」とのことであった。
「薄皮まんじゅうおいしいですよね」「ママドールもおいしいですよ、ぜひ食べてください」と教えてもらう。
教えられたとおりに走らせていたが、2人がどうも違うと言い出した。
私は全く分からないので、途中で左に曲がる。
これがいけなかった。あとでわかったが、そのまま行っていれば着いたのである。
苦しんだがどうにか着いた。
土産を買って、店員さんに、ママドールの話をすると、うちの店ではなく、隣の店で売っているとのことであった。
このような時の対応は、すべて水野がやる。話が旨いし、そつがない。
若いころ、トップセールスマンであったのがよくわかる。
才能だね。
私?全然ダメ。
萩原もあまり得意ではない。まあ、彼はいい職人である。
ママドールも買って、高速で帰途に就く。
晴れて明るい。ドブネズミには、つらい運転である。
しばらく走った時である。
「おい、そっちに行くんじゃないよ」と萩原の声。
左に入る方向に寄って行ったらしい。
元に戻して、「居眠りしてた、次のとこで代わってくれ」と私。
次のサービスエリアで、萩原に交替してもらった。
明るいし、突然襲ってきた睡魔に勝てなかった。
後部座席で少し眠ったらしい。
萩原が1時間ほど運転してくれた。
夕暮れになっていた。
ドブネズミが生き生きする時間である。
あとは私が運転する。
水野も運転はうまいが、半病人だから、今回運転は頼まなかった。
帰り道だったと思うが、萩原が、「わかった、下村、ナビを全然見てないよ」と言った。
私は驚いた。
当然じゃねーか。ナビなんか見てない。今頃気が付いたのかよ。
おれ運転する人、お前たち方向を指示する人。
うまく行ってんじゃないの?
gtkaudio at 04:37|Permalink│Comments(0)
2018年12月19日
温泉旅行 2日目
2日目、一睡もしていないと思っていた。
朝、水野が、「お前すぐに寝たな、話しかけても返事がなかった」という。
ん、、、なんだ?
先に眠ったのは、水野じゃないのか。
昨晩、布団を敷いたあと、萩原はすぐに眠った。
水野と私は話をしていた。
二人とも不眠症である。
私の不眠症は、小学生からだ。
家族が寝静まったあと、暗闇に一人、30分ごとに鳴る柱時計のボンを聞きながら、眠れない夜をすごすのは、つらいことだった。
7,8時間は寝なければ、次の一日、ボーとして、何も手につかない。
だから、早く寝なくてはとあせるのである。
特に高校時代がひどく、昼間から、今日は寝られるだろうかと心配になるほどであった。
水野は違う。もっとアグレッシブな理由からだ。
若いころ、活動している昼の生活が大好きで、寝ている時間は無駄だと思っていたそうである。
寝ることは嫌いだったと言う。
眠たくなければ、なるたけ起きていて、何かをしていた。
3,4時間も寝れば、次の日の活動には支障がない、そういう体だったのだろう。
人によって違うものだ。
そうだ、私が先に眠ったという水野の話だ。
私に眠った自覚はない。
水野が話していないから、先に眠ったのだと思っていた。
彼が話しかけたとき、私は気絶状態であったのかもしれない。
眠りを意識できなかった。
そういえば、こんなことがあった。
明け方まで眠れずにいた。まだ暗かった。
朝7時ごろ、気がつくとほかの2人は目覚めていた。
暗いから明るいに急に変わったにもかかわらず、私には、眠ったという自覚がないのである。
ずっと起きていたように思っていた。
しかし、おかしい。
暗いのが一瞬にして明るくなるはずがない。
論理的に考えると、眠っていた(気絶していた)と考えるしかない。
こういうこともあるのか。初めての経験である。
いや、今までもあったのかもしれない。
3人で朝ぶろ。
朝食後、車で出かける。
ただ、寝不足で、気分が悪い。
最初は運転をしていたが、明るい中での運転はどうもいやである。
コンビニに寄った際、萩原に運転をかわってもらった。
私は後部座席だ。横になる。
富岡の駅に行った。


綺麗にはなっていたが、閑散としている。人がいない。
一日当たりの乗車客が、2010年の474人から、2017年の86人に減少しているのだから当然だ。
原発事故は地域を破壊する。
帰り道、寝不足のせいで、気持ちが悪くなっていた。
このような時は、口に指を突っ込み、のどちんこの辺りをかき混ぜて、吐く。
立ち寄った店のトイレで実行した。
うん、回復。いつものことだ。
回復したし、薄暗くなってドブネズミの時間になった。
私が運転する。
宿に帰ると、新しい泊り客があった。
若夫婦と子供二人である。
旅館内が、急に華やぐ。
風呂に入り、食事をする。
食事、きのうと同様豪華だった。
きのうが特別かと思ったが、これが普通らしい。
福島、食べ物がうまい。
つづく
gtkaudio at 23:53|Permalink│Comments(0)