考えること、感じること”考える”を考える

2025年01月17日

音と芸術


私にとって、音を聴くことは、獣的なものである。

決して、知的や論理的なものではない。

なぜ獣的なものに感じるのだろうか。

おそらく、人間の感覚に収れんするものだからであろう。

感覚的にとらえ、感動がやってくる、基本的にはこれでしかない。

もちろん、経験が音の好みに影響を与えることはあるだろう。

しかし、その経験も、感覚にまで昇華されたものでなければならない。



さて、人間の感覚を基本とし、得られる感動から生まれた分野は何であろう。

芸術である。

科学でも学問でもない。

芸術は、論理よりも感覚を主眼とする。感覚を主眼とするものは他にないから、芸術という分野が生まれた。

芸術は、一般的に高尚なものととらえられている。おかしい。

私のような下賤のものにとっては、使うことをはばかる言葉になっている。

これはおかしいのではないか。感覚を主眼とする分野のものはすべて芸術にいれてほしい。

高尚であるかないかは、人によっても、時代によっても、異なる。あやふやなものである。

あやふやなもので判断されたらたまったものではない。

昔からある日本の芸能は、芸術に含まれないのだろうか。当然含まれるはずである。

香道、味覚、歌謡曲、感覚を主眼とするものだから、すべて芸術である。

芸術は高尚である必要はない。一つのジャンルを表す言葉に引き下げてくれないだろうか。

そうでないと、私には芸術という言葉が使えなくなってしまう。



明治のころに、頭の良い人たちによって自分たちにしかわからないものとして芸術を囲い込んでしまったのではないか。

高尚なものだけを芸術とした。

お前たち一般人にはわからないだろうと言われているように感じる。

感じる能力がないのに、知識と論理能力に任せて、多くを語ってくれたのだ。

ひどいもんだ。

感じる能力のないものは黙れと言いたい。

私は一般人である。高尚な人たちの囲い込みは嫌いである。

かくして、芸術という言葉の持つ選良意識を嫌い、私は芸能芸術という言葉を使わなければならないのだ。



さて、オーディオはまさに芸能芸術に属する。

感覚でとらえるものだから、芸術である。

残念ながら、そうは考えない人もいる。

シンクロスコープの波形を示していい音だろうという。

波形が良ければ音がいいのか。

計器がいい音を人間に教えてくれるのか。

スペックが良いものはすべて、音が良いと信じられるのか。

スペックを追い求める人は、音なんて聴いてはいないのではないか。



私がいい音だと思う音の周波数特性が良くないとする。

周波数特性の悪い音を良いというなんてと、馬鹿にする人もいるかもしれない。

周波数特性は客観的事実なのか。音に客観的事実はない。計器がいいといっているだけだ。

同じ音をいいと思う人もいれば悪いと思う人もいる。人それぞれだ。

なんで計器がいい音を教えてくれるのだ。自分で音を聴かなければわからないではないか。

私は私の感覚を信じる。



オーディオは感じるものだから、芸能芸術の分野である。

客観的ないい音などない。自分がいい音と感じることができるかどうかだ。

感動する能力があるかどうかが、芸能芸術のカギである。

言葉で理解するのではない、感じるのである。

スペックが素晴らしくても、つまらない音ばっかりではないか。



ハイレゾのスペックは素晴らしい。

私もそうだが、レコードのほうがいいと思う人がいる。

もっと言えば、78回転のSPレコードを蓄音機で再生した音が最高だという人もいる。

オーディオは芸術部門に属するものだから、当然である。

客観的に音が良いなどということはあり得ないのだ。

ああ、いい音だなと感じられれば、いい音なのである。



gtkaudio at 03:56│Comments(0)

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