2024年12月05日
考えること、感じること
考えると感じるの関係を考えている。
小学生の高学年になっていたころだと思う。
こんな風に思った。
「いつも何かを考えている。今なにも考えていなかったなと思える時があったらいいのに」
考えていないなどという瞬間なんて、あり得ないと思っていた。
大学の時だと思う、本を読んでいて、興味ある言葉に行き当たった。
「人は言葉を使って考えるのである。言葉がなければ考えられない」
思ってもいなかった内容であった。
この言葉は本当であろうかと、自分の中で検証してみた。
確かにそうである、言葉で考えている。
へー、そうなんだ。ちょっとおどろいた。
それなら、小学生の頃、いつも考えていると思ったのは何だったのだろう。
そうか、幼い私は、外界からの刺激を感じていることも考えるに入れていたのではないか。
幼いがゆえに、感じると考えるを区別できなかったのだ。
だからいつも考えているなどと勘違いしてしまっていたのだと結論付けた。
そしてこの頃、こんな風に考えている。
違っていたのではないか。
何が。
「人は言葉がなければ考えられない」というのが、間違っていたのではないか。
感じると考えるを区別することが間違っているのではないか。
たぶん、感じると考えるは密接に関係しているのである。
人間は、言葉を介することなく、五感で感じた記憶を結び付けながら、考えているのではないか。
さらに、その過程を、子供は意識できるのに、大人になった私たちは意識することができなくなっているのではないか。
大人になってからならともかく、子供の私は、言葉で考えているといわれても、納得はできなかったと思う。
言葉は、記憶や他人への伝達には優れた道具であるが、言葉の中では思考は狭い範囲に限定される。
ひらめきは、ぎりぎりと集中して考えている時ではなく、リラックスしているときに啓示のようにやってくる。
意識することなく、五感で感じた広い記憶の海で、人は自由に考えているのではないか。
頭に浮かんだ画像の中に、解決策が示されていたなんて普通にあることだ。
これだって考えるってことですよね。
考えていないのにひらめくなんてことはないはずです。
考えていることを意識できないだけです。
言葉を獲得する以前の人類も考えていたのです。その頃は意識できていたのかもしれません。
言葉を獲得した時から、意識できなくなった。
豊富な知識と、強固な論理能力を持つ秀才は山ほどいる。
しかしながら、創造力まで備わった人、すなわちひらめく力を持った人はそんな秀才のなかにもほとんどいない。
真の芸術家は、目いっぱい創造力を持っているのですが。
真の芸術家も、真の学者も、啓示のようにひらめく。
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