養老渓谷への旅行養老渓谷への旅行 その3

2024年10月27日

養老渓谷への旅行 その2

通常朝方まで起きている私にとって、早く寝ることは難しい。

なるべく飲まないようにしている眠剤一錠を半分に割って飲む。

ダメだ。通常なら一錠の4分の1で眠れるのに、午前4時になっても眠れない。

もう半分を飲む。ようやく眠ったようだ。8時に携帯の目覚ましで起きる。

東西線で、東陽町にレンタカーを借りに行く。9時前に着く。

実は前日に手続きをしておきたかったが、当日でなければ手続きできないといわれた。

手続きに手間取って、遅れるのを恐れていた。

まあ良かった、問題なく終わった。


荒川区の萩原のところに向かう。

萩原の家には何度も行ったことがあるが、私の属性として、道を覚えてはいない。

車のナビは使い方に慣れていないので、スマホに住所を入れてナビとして使う。


すばらしい、萩原の家にちゃんと着いた。

マンションなので、電話して車まで来てもらう。

私の緊張はここまでである。

あとは隣に座っている萩原に任せる。

すべてを萩原の指示に従う。すぐに訳が分からなくなる私の動物的勘よりも、遥かに安心である。

なにしろ、「止まった時は、後ろを見ておけば、帰りの時の参考になる」などと、私にとってはとんでもないことを萩原は言う。

形象認識に欠陥を抱えた私などにとっては、異能の持ち主としか思えないのである。

後ろを向いたとき、カメラのシャッターを押したかのように、道の画像が切り取られ、即座に記憶されるのである。

そうなのだ、このような能力を持つものは、だれもがこの種の能力があると勘違いするのだ。

どうしてこんな簡単なことができないのだと不思議がる。

本人にとっては、何の努力も必要としない単純なことなのだ。

ところが、私にとっては途方もないことに思える。

自慢じゃないが、俺が同じ場所で10回振り返ったって、何の記憶も残りはしない。



考えてみれば、生まれついての得意不得意は人によって異なる。

日本人は、個々の涙ぐましい努力で、不得意分野を克服し、あらゆる分野で平均以上の国民を作り出していった。

それが戦後社会の状況にぴたりと合致し、日本の経済的発展を支えていたのだと思う。

しかしながら、そのような努力を必要としない状況が生まれてきている。

私のような能力のないもののために、ナビができた。

かつては、多くの電話番号を暗記している人がいたが、今は電話器のなかにいくらでも記憶しておくことができる。

私は記憶力が人並外れて悪く、特に形象認識に欠陥があるため、漢字を覚えることが苦手である。

読むことができても漢字が書けないのである。文章を書けば、ほとんどが平仮名になってしまい、まったくもって恥ずかしい。

文章は書けないと思っていた。

この弱点を救ってくれたのはパソコンである。自動で漢字に直してくれる。

以上のような欠陥を補う助けとなったのは、すべてコンピュータによってである。


このように日常生活にもコンピュータはまさに革命的変化をもたらした。

おそらく、もっと大きな変化をもたらしたところがある。産業界である。

コンピュータによって精緻な処理が可能になった時、どこで作っても製品の質がはるかに上昇し、日本製の優位性は薄れていった。

日本の停滞の原因はここにもある。



いけない、話がそれた。

新松戸にいる水野のところへ向かわなくてはならない。

萩原が車についたナビを設定した。

ナビはなくとも、萩原には新松戸への道はわかっている。

家の近くまで行ったらナビに任せてもいいが、それまでは萩原の記憶の道でよい。

難なく到着する。


水野は体の調子が悪い。10月末には入院を控えている。

入院が決まった時、水野の好きな温泉行を急遽決めたのである。

宿の住所をナビにセットし、水野の家族に送られて出発する。

高速を走っているときである、市原で降りるか、茂原で降りるかで、萩原と水野で意見が分かれた。

私の意見?そんなものはありゃしない。指示待ちロボットドライバーである。

水野が自信をもって茂原だと主張したので、そちらに決まったようだ。

まあ。間違っていた。市原が正解だった。



茂原で降りてからのナビの案内は最悪だった。

指示通りに走っていると、一週回って元の道だったりする。

例えば、「右に曲がります」が、右折することではなく、「道が右にカーブしている」ことを表しているにすぎないと分かるまで、何度か間違えなければならなかった。

最後には、音声案内を止めて,画面の表示だけに従ったら、間違えることはなくなった。

出口を間違えて茂原で降りたことと、ナビに騙されたことで、宿への到着が遅れた。

2時間ほどで着くはずが、3時間以上かかった。

まあ、急ぐたびではない、ドライブを楽しんだと思えばよい。



チェックインにはまだ時間があった。宿の近くの茶店で、軽く食べ物を入れた。

水野は一人景色を見、写真を撮っている。

展望台

好奇心旺盛だ。

景色を見ても何の感慨も、もようすことのない私と異なり、美的センスを持っているということなのだろう。



3時チェックイン。

大きな旅館である。長い建物だ。

入り口近くにエレベータがある。3階まで上がる。4階まであればいいのだが、3階までしかないのだ。

長ーい廊下を歩くと、次のエレベータがある。4階まで上がる。

長ーい廊下をさっきとは反対方向に半分ほど戻ると我々の部屋である。

行って戻るのだから、3分の2は無駄に歩かされる。

ようやく着いた。

10畳ほどの、3人には大きな部屋である。

部屋で荷ほどき

ちょっと休んで、温泉に入ろう。


つづく。









gtkaudio at 06:11│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
養老渓谷への旅行養老渓谷への旅行 その3