2024年02月
2024年02月14日
Leak TL/12.1 (TL/12 Point One)のオーバーホール


懇意のお客様からLeakのTL/12ポイントワンのオーバーホールを依頼された。
高価で、60年以上前のものなので、トランスが良い状態であればいいと思っていた。
特にアウトプットトランスさえ状態が良ければ、あとはどうにかなる。
動作品とのことで、トランスは大丈夫のはずであった。
残念。
私が測定したとき、導通はあり、140オームぐらいを示していた。
たまたまいらした電気に強いお客さんが、おかしい、アノードアノードで280オームのはずといって、測定してくれた。
140Ωではなく、140KΩだった。
最悪である。
プッシュかプルのどちらかが動作していない。
片方のエンジンが止まってしまった双発機のようなものである。
片方だけでも音は出るだろう。
まあ、まともな音は出ない。
どうするか。
そのお客さん、助け舟を出してくれた。
TL/12.1を修理した時、巻きなおしてもらったアウトプットトランスがあるというのだ。
音が気に食わなくて、パートリッジのトランスで載せ替えたから、そのトランスが余っている。
譲ってくださるとのことだった。

画像真ん中が巻きなおしたアウトプットトランス。

手前にあるカバーの付いたアウトプットトランスが、壊れていた。
載せ替えたコイルがむき出しのアウトプットトランスが、巻きなおしたものである。
今回のアンプはあまり良い状態ではなく、オリジナルの状態からほど遠いものだった。
部品を寄せ集めて、作ったものかもしれない。
さて、アウトプットトランスが巻きなおしたものに代わってしまったのはショックだったが、オリジナルと同じ音色というわけにはいかないとしても、できる限り魅力のある音を出してみようという気持ちになった。
初めての経験だし、巻きなおしたアウトプットトランスで、どんな音が出るのかやってみる価値はある。
さて直す。
こんな名器にさえ、カップリングコンデンサにフィルムコンが使われている。いい音がでるはずがないではないか。
私がオイルコンで直さなければ、いい音は出ないとこのブログで発信する前、ほとんどの修理はフィルムコンが使われていた。
おそらく、音を聴いての修理ではなく、測定機に頼って、良い測定結果が出れば修理完了という時代が続いていたのであろう。
測定機に頼っていたならば、音に対する人間の感覚が鈍ってしまう。
スペックを誇るオーディオ製品が、ちっとも良いと思えないのはそのせいである。
芸能芸術に属する分野を、科学でもって裁断するなんて、ばかげている。
人間を主体に考えない限り、良い音など出るはずがない。
もちろん私は、カップリングコンデンサに英国製のオイルコンを使う。
板マイカも音がいいように感じる。使う。
位相反転段に使われている抵抗、57kΩと68kΩはドッグボーンにする。
電源に使われるコンデンサーもすべて英国製のオイルコンにする。
できる限りのことをして、私自身が良いと思える音が出るように追い込んでいこう。
音は科学ではなく、芸能芸術の分野のものだから、自分の感覚を信じて、好みの音が出るように頑張るしかない。
オリジナルの状態にできるだけ近づけなければならない。

写真手前の部品に取り換えてあった。
まずはオリジナルの部品をそろえて、交換した。
外見的なオリジナルは追及していない。見た目にはこだわらないお客さんである。
その代わり音にはこだわる人だから、音をよくしなければならない。
TL/12.1の音の良さはどこからきているのだろう。
電源にオイルコンが使われているのが大きい。
位相反転のところにMullard ECC33が使われているのも大きいかもしれない。
Mullard ECC33、高価である。
パワー管でもないのに、どうしてと思うかもしれない。音がいいのである。
この球が使われていることも、TL/12.1の音の良さに寄与しているはずだ。

ついでに言っておくと、Brimarの6SN7というのもある。
ECC33と似た球である。TL/12.1の弟分にあたるTL/10に使われている。
これも高価である。音がいい。
米国製6SN7と差し替えて、音の違いに驚いた。

Brimarの6SN7。
Mullard ECC33もBrimar 6SN7も、プレートが丸くなっているのが特徴。
さてと、巻きなおしたアウトプットですが、できるだけよい音で鳴らそうと頑張った結果、こんな風になりました。
YouTubeにアップしました。聴いてください。
中島みゆき 雪 Leak TL/12.1 Thorens TD/124 Ortofon SPU G shell Tannoy Chatsworth
Miles Davis in Concert All Of You Leak TL/12.1 Decca XMS Wharfedale 10"
gtkaudio at 06:14|Permalink│Comments(0)
2024年02月08日
歳をとると、時間が早く流れる。どうして?
歳をとるにつれて、一年が素早く過ぎ去っていくように感じる。
友人たちに訊いても、異口同音に、その通りだという。
今年も、もう2月になったのか、はえーなという感じだ。
考えてみる。
小学生の頃、一年は長かった。
小学生の頃の一年と、老人になってからの一年は、感覚的には同じ長さとは思えない。
もちろん、同じ長さではある。
それではなぜ?
緻密度が違うのではないか。
以前も書きましたが、私が小学生の頃、自分がいつも何かを考えていると思っていた。
一瞬でもいいから、今なにも考えていなかったと意識してみたかった。
当時の考えるは、私にとって、感じると同義語であった。
外界の刺激に、瞬時も怠ることなく、五感を駆使して、感じ続けていたのである。
緻密に時間は流れていたのである。
歳をとるにつれて、感じる能力が衰えてくる。
とぎれとぎれのラジオのように、感じる時間が短くなり、何も感じない時間が増え続ける。
つまり、ボーとしているのである。
意識できない時間が増え、意識できていないことも意識しなくなるのである。
感じる時間が短くなれば、意識のない時間が増え、意識のない時間はカウントされないから、時間が早く過ぎるのである。
小学生の頃、今のボーとした状況を感じることができたなら、うれしかったかもしれない。
今となっては、ちっともうれしくないが。
人間にとって、感じることが生きているあかしなのだと思う。
論理を主体とするのではなく、感じることを主体とする芸能や芸術が、人間生活の中で重きを置かれるのは、生きることと密接に結びついているからではないだろうか。
gtkaudio at 03:08|Permalink│Comments(1)