2024年01月

2024年01月19日

YouTubeの中島みゆき


YouTubeの私のサイトに載せた中島みゆきの狂騒が終わった。

かつて、日本の曲をYouTubeに載せてバンされ、それまでに載せたすべての曲が消滅されるという苦い経験を味わった。

3曲警告をもらうと、そのチャンネルにあるすべての曲が消去されるという過酷なものであった。

それゆえ、何年もの間、日本の曲は古くてこれは大丈夫と思われるものだけをアップするようにしていた。

バンされるのが怖かったのである。



バンされる前、中島みゆきの曲、ホームにてや、ファイトに、おびただしい数のアクセスがあった。

おそらくそれもあってバンされたのである。

通報する人も多かったらしい。

ある時から、YouTubeの方針が変わったらしく、AIを取り入れたのであろう、載せてよい曲かどうかを事前にチェックできるようになった。

ん? 中島みゆきを載せても大丈夫か?

ジャズを中心にアップしてきたけど、私は日本の曲も載せたいのだ。

オーディオに興味のない人にも、良い音で聴くといいものだと分かってほしい。



まあ、ダメもとで中島みゆきをアップしてみた。

出来たのである。著作権は主張しているがYouTubeに載せることは許されている。

1曲載せてみた。



さて、その狂騒の始まりは、しあわせ芝居からだった。

アップした当初、アクセス数は大したことなかった。

20日間で563アクセスだから、1日平均30アクセス弱である。

それ以降、驚くほどの上がり方を示す。

25日目、756アクセス、45日目、8678アクセス。

20日間で7922アクセス、1日平均396アクセスである。

後半になるほど増加していたから、最後の頃は1日800アクセス以上あった。



そのうち1,000アクセスを超えるなと予想していた。

以降アップした中島みゆきの曲も、多くのアクセス数を稼いでいた。



残念ながら、その甘い予想は外れた。



そう、この狂騒も終わりを迎えるのである、

今から3日前の45日目以降、がくんと下がる。

何らかの抑制が働いた。

1,000アクセスを超えるなと思われたしあわせ芝居の現在は、1日60アクセス程になっている。

他の曲も軒並みアクセス数が落ちている。



理由はわからないが、まあ仕方ないのかもしれない。

出る杭は打たれるということなのだろう。

中島みゆきの曲は力にあふれているから、できる限り良い音で鳴らせば、今以上に世界の注目を集めるだろうにと思うのだが。

まあ仕方ない、削除されることがないだけましである。



YouTubeにアップした時、著作権の関係で、4種類に分類される。

1.アップしてもアップした本人以外誰も聴けない。

2.一部地域では聴くことができない。それ以外は聴くことができる。

3.著作権の主張はあるがYouTubeに載せることは許されている。誰でも聴くことができる。

4.制限なしで、誰でも聴くことができる。


ただし、以上のことも固定したものではなく、著作権者により変化する可能性があるということである。



私がアップした12曲のうち、

1.1曲。聴けない。

3.6曲。著作権者に許されている。

4.5曲。制限なし。


それゆえ、現在11曲を聴くことができる。

今はアクセス数が少なくなったが、人気だった3曲を紹介しよう。

中島みゆき しあわせ芝居 Tannoy Chatsworth

中島みゆき 海鳴り Garrard301

中島みゆき 化粧 Thorens TD/124 Ortofon SPU A shell Tannoy Chatsworth

以上です。

アクセス数を見れば、この1か月ちょっとの狂騒がわかります。

gtkaudio at 02:34|PermalinkComments(0)

2024年01月03日

創造力 その2 ライオンは考える

ずいぶん昔の話だが、私が小学生の高学年になったころ、こんなことを思っていた。


自分はいつも何か考えているけど、ちょっとの間でも何も考えていなかったと思えたらどんなだろう。そうなってみたいと願っていたのである。


ただし、当時の幼い私の考える大人が考えるは違ったものであったように思える。

幼い私の考えるは、外界がもたらす刺激を感じていたり、かつて感じたことを思い出したりしていた脈絡を持たないものであり、大人たちの論理的に考えるとは大いに異なっていたと思う。

その時の中心は、五感でもって感じることを考えていると思っていたようである。

のちに本を読んでいて、考えるときは言葉で考えているのだというのに行き当たった時、なかなか受け入れられなかった。

ただし、よく考えてみて、やはり言葉で考えているのだと、私も受け入れたのである。

その時、言葉がなくては考えることはできないと敷衍してしまったことが間違えだったように思える。



考えることは、人間が生き延びるための大切な手段であると思う。

こんな大切な手段を、言葉を持たない他の生物には与えられていないのであろうか。

そんなはずはないと思うのである。

こんな有効な手段を与えられないはずがない。

言葉を持たない他の生物も考えているはずである。



それでは、言葉を持たない生物が考えていることを想像してみよう。

イマジネーションってやつだ。

3日前にインパラをすんでのところで取り逃がしたライオンが木陰に横たわっている。

悔しい気持ちから、失敗の原因を知りたい。

インパラを追いかけていた画像が頭の中で繰り返し思い出されている。

その画像は、ライオンが見たままの画像ではない。

その画像の中では、インパラを追いかけるライオンの自分の姿まで現されているのだ。

記憶の中の画像は、寝ている間に、より客観性を持たせるように整理されているのである。



ライオン、また最初から思い出している。画像がめくられてゆく。

今回は、ゆっくりとじっくりと辿ってゆく。

あ、っと気づく。もう一歩詰めて跳びかかるべきだったのだ。早すぎた。

ようやくライオンは納得する。

これが言葉を持たないライオンの思考法である。

単純化するために、視覚だけを取り出したが、視覚だけでなく、すべての感覚の記憶を総動員して、ライオンは考えているはずである。

おそらくライオンは、五感のあらゆる感覚を駆使して考えているのだ。

言葉がない分、人間よりも鋭敏な感覚と記憶力を持っているかもしれない。



さて、人間に帰ろう。

私が小学生時代に考えていると思ったことは、このライオンの思考法と似たものだったように思う。

いや、大人が常に言語でもって論理的に思考していると思うことが間違っている。

言語で考えていると思っていても、頭の中では、かつて感じた様々な記憶が明滅し、それが突如として解決のヒントを与えているのではないだろうか。

論理的整合性は、後からつけられる。



リラックスしているときに天啓のようにもたらされるひらめきとはこのようなものではないかと思う。

感じ、それを記憶している、これが大切である。

創造力の源は、感じる能力にあると私は思っています。



思考は感じることから始まる。


感受性こそ宝です。


gtkaudio at 01:39|PermalinkComments(0)