2023年11月
2023年11月26日
ボリューム

修理の終わったアンプの最終調整をしていた。
音を聴いてまあいいかなと思っていた。
しかし、何か引っかかる。好みの問題かもしれないが。
どうしようかと迷うが、自分の好みを押し通すことにする。
これくらいでいいかでは、いいものはできない。
さて何をするか。
通常は手を付けないが、ボリュームを変えてみよう。
ボリュームは意外と音に影響する。
電気知識が豊富で、修理を担当した人に相談すると、100KΩのボリュームがついているけど、リークのプリアンプとつなぐには250KΩぐらいのほうがいいという。
電気的整合性ばかりではなく、ボリュームは使う部品で音が大きく変わってくる。
英国製のボリュームは、性能は劣るが、音は良い。
英国製のボリュームにしてみよう。
これは最後の手段だから、これで音が良くならなければ、あきらめる。
さて、店の中を探して、中古のボリュームを集めてきた。

5種類集まった。上の写真では1個ずつしか写っていないが、ステレオ用だから2個ずつある。
左から、500KΩ、100KΩ、250KΩ、250KΩ、200KΩである。
一番右がlinであとはすべてlogである。
英国では、Aカーブをlog、Bカーブをlinという。
logはロガリズムで対数カーブ、linはリニアの直線だからわかりやすい。
オーディオにはlogを使うが、なければlinでもいい。
アンプを調べたら、付いているボリュームは小さく、交換部品の入るスペースもそれなりに狭い。
左3種類は大きすぎる。
取り換えられるのは、右の2種類しかない。


右は比較的新しく、前面と後部にCLAROSTATと刻印がある。

形からすると、左もクラロスタットらしい。確証はないたぶんである。
英国製ではない。音さえよければどうでもいいが。
以前、左と同じ形で100KΩのボリュームをリークのプリアンプに使ったが、大変良い音だった。
聴いてみて音さえよければ、クラロスタットでなくてもいい。
大事なのは、国でも製造会社でもない、音だ。
左を使う。

1/4 MΩ LOGと書いてある。
250KΩ Aカーブである。
実測では、2個とも500KΩ程度になってしまっている。
かまわない、これを使う。
さて、アンプの外まで線を引っ張り出して、テストした。
全く違う。こんなに違うものか。
モヤツキがなくなった。きりっとした音になった。音につやもある。
ボリュームさえ変えればすべてが良くなるなんてことはないだろうが、このアンプには驚くほどの効果があったということだ。
実際の違いは大きなものがあるけれど、YouTubeでわかってもらえるだろうか。
比較できるように交換前後の映像があるので聴いてみてください。
最初が交換前、2番目が交換後である。
浅川マキ ちっちゃな時から PX4ステレオシングルアンプ 修理
浅川マキ 朝日楼⁽朝日のあたる家⁾ PX4ステレオシングルアンプ 修理 ボリューム変更
Ann Burton Bang Bang from Ballards & Burton PX4ステレオシングルアンプ 修理
Ann Burton Try A Little Tenderness from Ballards & Burton PX4ステレオシングルアンプ 修理 ボリューム変更
Dancing In The Dark from Somethin' Else Cannonball Adderley PX4ステレオシングルアンプ 修理
Dancing In The Dark from Somethin' Else Cannonball Adderley PX4ステレオシングルアンプ 修理 ボリューム変更
比較の相手はいませんが、
Rossini Streichersonate Nr.6 D-dur PX4ステレオシングルアンプ 修理 ボリューム変更
2023年11月09日
創造力
そうぞうりょくには、同音異義語がある。
高校生の頃、私の中で「そうぞうりょく」は「想像力」でしかなかった。
「創造力」という言葉は思い浮かばなかった。
まあ私はそれぐらいの能力しかなかったのである。
ご存じのように、ざっくり言えば、想像力は想い浮かべる力、創造力は作り出す力である。
意味は全く異なる。
日本語では、想像と創造は発音もイントネーションも同じだから混同しやすいが、英語ではimagination (想像)、creation (創造)だから、混同することはない。
私は創造力が気になって仕方がない。
重要な力である。
かつて、勉強とは、知識と論理能力をつけることであり、それがすべてであると思い込んでいた。
知識と論理能力さえあれば、学問の新たな地平を切り開くことができると信じていたのである。
しかしながら、知識もあり、強固な論理能力も持つくらいの人間ならざらにいるのである。
そのような人たちが、世界的な発明や発見を成し遂げることができるかというと、そのほとんどができないのである。
いや、そのような優秀な人たちにもかかわらず、世界的な発明や発見どころか、ちょっとした工夫さえもできない者たちがたくさんいるのである。
知識を取り入れる能力に優れ、十分な論理能力を有する者が、十全の能力を持つものではないのである。
何が足りないのか。
おそらく、願ってもなかなか手に入れることのできない能力、創造力が足りないのである。
創造力は難しい。
ある人の知識や論理能力がどれだけあるかを測定することはそれほど難しいことではない。
受験などで普通に行われていることである。
しかし、創造力を測定することは難しい。
自分自身に創造力があるかどうかさえ分からないことのほうが多いのである。
現在の学問の最先端まで自ら到達するために、知識と論理能力は必要である。
その先の新たに切り開く能力は、知識と論理能力ではない。
創造力である。
それなら創造力はどのように機能するのであろうか。
発明発見の際にしばしば語られるひらめきという言葉がある。
逸話としてよく言われることは、考え詰めている時ではなく、そこから離れてリラックスしているときに、急にひらめいたというものである。
これは何であろうか。
思いつめていたことから解放され、まったく異なる環境が五感を刺激し、異なる方向からの観かたを獲得することで、新たな仮説を立てることができるということかもしれない。
あるいは、荒唐無稽かもしれないが、次のように考えることもできる。
考えることは、言葉があるからできる、という考え方を疑ってみよう。
言葉を持たないサルは考えないのであろうか。
私には考えているように思える。
もっと下等な生物は考えないのであろうか。
私には考えているように思えるのである。
人間は言葉という強力な武器を持ったがゆえに、言葉だけで考えていると思っているだけではないのか。
言葉を持たないものは、言葉以外の方法で考えているのではないだろうか。
人間も、言葉を介さずに考える能力を持っているのではないか。
それも、古い時代の脳の領域で行われるから、意識できないのではないだろうか。
リラックスした中でも、古代の脳の領域では活発に解決策を考え続け、そこから導き出された結論を、ひらめきと感じるのかもしれない。
まあ、言葉を介さない思考とはどのようなものであるかを詳述できないのですから、納得していただくことは無理でしょうが、人間には意識できなくなったところで、表面には現れない太い地下水脈のように、思考し続けている流れが存在し、それが創造力の源になっていると私は考えています。
自分の体の中で起こっていることで、意識することができないことのほうがずっと多いと思うのですがいかがでしょう。
次のブログは、創造力について考えるきっかけをくれた大学時代の級友の話です。
こちらも読むと問題点がはっきりすると思います。
友人H
続 友人H
gtkaudio at 04:29|Permalink│Comments(0)