2023年10月

2023年10月17日

大動脈瘤 その3

手術が終わり、目が覚めた時、集中治療室(ICU)のベッドで寝ていた。

看護師さんは男性、初めての経験である。

女性の看護師さんに劣らず、面倒見の良い看護師さんだった。

夜になって、熱が上昇している自覚があった。

熱が出たなどということは、小学生の時以来のことである。

なかなか気分の悪いものだ。

氷枕をもらって、どうにかやり過ごした。

手術の後のせいか、半覚半睡の状態で、夜眠れなくて困るということもなかった。


翌日、ICUから元の病棟に戻った。

気分の悪い尿道カテーテルも外れて、自分でトイレに行けるようになった。

ただし、熱は下がらない。

このままだと、入院が伸びるのではないかと不安になる。

夜になるとさらに熱が上がり、38度7分までになった。

看護師さん、全く動じない。熱は出るという。

つらそうにしていたので、解熱剤を用意してくれた。

飲んだら眠くなり、数時間眠った。

起きると、節々が痛む。

バリバリだぜ、といえば元気そうに感じるが、節々がバリバリ痛むというバリバリだぜである。痛い。

そうだ、看護師さんに頼んで、鎮痛剤をもらおう。

ナースステーションに行って、頼んでみた。

頼んだら、驚く返事が返ってきた。

「解熱剤と鎮痛剤は同じなんです」

ん? まったく知らなかった。

今まで世話になったことがないので知らなかったが、解熱鎮痛薬というのだそうだ。

思ってもいない展開に、それならさらに同じものをくださいということもできずに、すごすごとあきらめて帰ってきた。

バリバリだぜ。



どうも私に対する同情が足りない。

熱?手術の後だから出るでしょう。痛み?少々我慢しろ。

こんな風に言われているように感じる。

もう少し、弱った姿を見せないといけないらしい。

翌日、執刀医の先生の回診。

まあ、弱った姿を見せ、熱も出て、関節がバリバリと痛むと、窮状を訴えた。

「元気そうですね、予定通り退院できます」

ダメだこりゃ。同情という言葉はこの世から消えてしまったらしい。



かくして、9月19日入院、20日手術、24日退院の予定を完了した。

退院の際、預けていた私の常備薬を返してくれた。

その中に、解熱鎮痛薬が加えられていた。

渡してくれた看護婦さん何も言わないから、家に帰って2日後になって、ようやくこの薬の存在に気が付いた。

うれしかった。

退院後も37度台の熱が4,5日続いたが、それを過ぎると、どうにか通常の状態に戻った。

ステントは経過観察が必要とのことだが、手術はうまくいったようである。




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2023年10月09日

大動脈瘤 その2


入院した手術の前日、先生方が病室に来てくださった。

麻酔医の先生が見えた。女の先生だった。

私には、麻酔専門の医者が手術に立ち会う意味がよくわからなかった。

そこらあたりを直接聞くことは失礼にあたるから、先生の話を聞くことに専念した。

すると、私が想像していた麻酔の方法が違っていることに気づいた。

私の想像では、最初に麻酔薬を投与されると数時間眠ったままの状態が続き、その間に手術が行われるものと思っていた。

だから、麻酔の専門医など必要としないのではないかと思っていたのである。

全く違うのだ。


先生の話を要約すると、次のような手順で行われる。

まず点滴で麻酔薬が投与されると、即座に眠りに落ちる。 

点滴による効果は長く持続するわけではない。そのままにしているとすぐに目覚めてしまう。

代わりにガスマスクが装着され、持続的に麻酔成分が供給される。

手術が完了し、ガスの供給をやめると、その時点で目が覚めるとのことであった。

手術時間の長短にかかわらず、麻酔による体への負担は最小限に抑えられる。



ああ、そうなのか。

麻酔医は、手術中の患者の眠りと体の状態を逐次観察するという重要な役割を担っているらしいのだ。

いらないなどと失礼なことを思っていたけれど、患者にとっては大いに頼りになる存在だったようだ。

全身麻酔は初めてだけれど、納得して任せられる。

きれいな女医さんよろしくお願いします。



執刀医の先生からの説明もあった。

以前から不思議に思っていた疑問をぶつけてみた。

太い動脈を傷つければ、血が噴き出してしまうはずである。

明確な答えが返ってきた。

ボールペンの芯の部分を取り出した。細い針の代わりである。

まずは血管にさす。

ボールペンの芯に、直径の大きな外装をかぶせる。

さらに血管に押し込むと、直径の大きな穴が開き、逆流を防ぐ弁も備えているから、血液が噴き出すこともない。

シンプルかつ明快だけれども、これを人間の体の中で実践するのだから、何ともはやである。

尊敬の念をもってすべてを任せよう。



翌日の午前中に手術は行われた。

手術中の意識はまるでない。

目覚めたときにはすべてが終わっていた。



ただし、手術後がちょっと辛かった。






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2023年10月04日

大動脈瘤


大動脈瘤の手術について書く。

執刀してくださる先生に初めてお会いした時、素人の私の判断だから心もとないものの、この人優秀ではないかと 私に感じさせてくれたのである。

説明が明確で、問題点とその治療法が手に取るように想像できたのだ。



こんな感じだった。

お会いしてすぐ、この先生、概略を説明しながら、紙にボールペンで絵を描き始めた。

当然、何を描いているのだろうとこちらの神経は絵に集中する。

どんどん出来上がってゆく。

患部の絵であった。

途中からは。その絵を描き足しながらの説明になった。

馬鹿みたいにわかりやすい。



すごい方法だと思った。

私の集中力を引き出してくれているのである。

何を描いているのだろうから始まった私の神経の集中が、出来上がってゆく絵を見ながら、何を表す絵なのかと興味津々で、その神経の集中が途切れないのである。

どんなに精密に描かれた絵であっても、次第に出来上がってゆく絵の魅力にはかなわないのである。

前者が静であれば、後者は動であろう。人間の神経は動に引き付けられる。

人間の心理をよくわかっている先生だ。

IMG_0395

上の画像が、その時描いてくださったものである。お願いして、いただいた。

左上の図は、心臓から降りてきた動脈が、股のところで2本の足に分かれる前のところに問題があることを示している。

その拡大図が右上で、通常2㎝である動脈が、5.1㎝と太くなっている。

5㎝を超えると治療するか考えるとのことで、おそらくは経過を見るという選択もあったのだと思う。

私の家系の死因は、ほとんどが循環器の障害によるものである。

父は心筋梗塞、母は動脈瘤破裂で亡くなった。

私はまさに両方の病気を受け継いだことになる。

手術してもらうことにした。



さて二つの選択肢があるという。

開腹手術により、患部の血管を全部入れ替える方法と、血管はそのままにその内部にステントを入れる方法である。

後者は、画像の右下のように、布の内部に金属ばねの入った蛇腹状の人工血管を挿入する方法である。

前者の方法は完璧になるが、体への負担は大きい。

後者の蛇腹を入れる手術をしてもらうことにした。


驚くことが多かった。

大動脈の直径が2㎝もあることが驚きだった。

友人に話したら、なんかの間違いではないかと信じてくれなかった。

そう、そんなに太い血管が体の中を走っているなんて、ちょっと想像できない。

まあ、我ながら、体に関する知識はさみしいものだ。



執刀する先生は、簡単な手術とみなしておられるようなのだが、何度か手術前にお話しして、質問に答えていただいたことから、なるほどと、がてんのゆく医学技術に、素人ながらも感動を覚えた。

慣れている先生方にとっては、簡単な手術かもしれないが、なかなかどうして大した技術であることに間違いはない。

そのあたりは次に書く。







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