2022年12月
2022年12月26日
H.J.Leakと周波数特性

以前にも紹介しましたが、First in High Fidelityという英文の本があります。
10年以上前、そのわかりやすく美しい英文に感動し、10冊ほど購入して必要とする方に販売しました。
真空管オーディオフェアでの販売の際に購入された方もいらっしゃると思います。
でもその時は2冊ぐらいしか売れませんでした。
今は自分用ぼろぼろの一冊しか残っていませんが。
H.J.Leakに対する尊敬にあふれた本で、英国に多く存在したLeak addict(リーク中毒)と自らも認めるオーストラリア人の著者が、Leakというオーディオメーカーの歴史とその製品の資料を渉猟した名著です。
残念ながら、今は絶版になっていて、古本がバカ高い値で売られています。
良い本なのに、再版されないということは、売れなかったのでしょうね。
私が全部売るにも時間がかかった。バカバカしい。
その本の中に、生前のH.J.Leakを知る人が証言したちょっとした逸話が載っている。

上の画像にあるように、69ページの右上が、その逸話の一つである。
次のような英文である。
When Harold Leak sent the TL/12 to the National Physical Laboratory (N.P.L) for tests, he told me that he was worried about the frequency response because he did not have an accurate meter to measure it.
ハロルド リークがテストのためにTL/12を国立物理学研究所(N.P.L)に送った時、周波数特性のことが心配だと私に語った。リークは周波数特性を測る正確な測定器を持っていなかったからだ。
これを読むと、ガレージメーカーに毛の生えたくらいの小規模な会社であったLeakにはまともな測定器もなかったということがわかる。
歪率計はLeakにとって重要だったはずだ。歪率0.1以下を表すポイントワン(.1)を付けたかった。
リーク自作の歪率計があったと別のページに書かれている。
The first distortion factor meter that Leak had was one built by Harold Leak, mainly because commercial manifacturers had not seen the need to make instruments capable of measuring down to 0.1% distortion.
自作したのは、メーカーが、0.1%以下の歪率を測定することができる計器の必要性を感じていなかったことが主な理由である。つまり精密な歪率計の需要がなかったのだ。
1947年、リークは国立物理学研究所(N.P.L)に自社の歪率測定が正しいことのお墨付きを得ようとして連絡を取るが、N.P.Lは当時それだけの能力のある歪率計を持っていなかった。
1949年までには、N.P.Lも測定ができるようになる。お墨付きを得たリークも宣伝に使ったらしい。
以上私の要約である。間違えているかもしれないので、原文は次に書いておく。
In 1947 Leak approached the National Physical Laboratory (N.P.L) so that the company's distortion measurements could be verified, but NPL did not have this capability at that time. By 1949 though, NPL were undertake these tests and Leak subsequently published the report in company advertisements for the TL/12 amplifier.
さて、リークは歪率0.1%以下を前面に押し出して、宣伝する。
当時としてはよい値だったのであろう。
この値が、Leak addict(リーク中毒)を生み出すほどの人気を博したのであろうか。
私は違うと思うのです。
出てくる音に感動したから、リーク中毒を生み出したのです。
音は電気的な性能ではなく、芸能芸術分野に位置づけられるものです。
私の勝手な分類では、味覚も芸能芸術分野に位置づけられる。
料理人が、目の前で測定器片手に料理していたら、バカバカしいと思いませんか。
味見のできる料理人のほうが信用できるはずです。
オーディオ機器なら、測定値のデータがあればお客は喜ぶというのですから、私にはバカバカしいと思ってしまうのです。
だいぶ前になりますけど、部品を買いに立ち寄ったオーディオ店で、デッカの針交換の話になった。
その店では、針交換したものには、周波数特性のデータをつけてお客に渡しているとのことだった。
私がそのことに興味を示さないので、わざわざそのデータシートまで見せてくれた。
それでも興味を示さない。
店主が最後に言った、「まあ、関係ないけどね」
何だ、わかってるんだ。音を聴きさえすればいいだけのことだ。
データがあると、客が喜ぶそうだ。
バカバカしい。
音は芸能芸術分野に属するんだけどな。
測定値が良ければ、人を感動させる音が出るなら、現代のトランジスタアンプは最高でしょう。
何で今更真空管アンプを多くの人が求めると思ってるんですか。
おっと、話がだいぶそれてしまった。
何が言いたかったというと、リークが1947年名機TL/12.1を作った時、精密な測定器などなかったことを言いたかったのです。
頼りは、自分の耳だったはずです。
測定値が良ければ音もよいのでしょうか。
もしそうなら、トランジスタアンプのほとんどは名器になっているはずです。
音は測定値で決まるわけではありません。
音は芸能芸術分野に属します。
私の芸能芸術の勝手な定義は次のブログに書くつもりです。
2022年12月12日
デジタルと低音
オーロラというノルウェーの女性歌手のドキュメンタリーを観ていた。
年のせいであろう、私にはこの歌手の良さはよくわからなかった。
しかし、画面から伝わる彼女の繊細な感受性に、芸術に携わる者の才能の持ち主であることは感じることができた。
孤独でありながら作品を作り出し、自らを表出することで他者とのつながりをようやく維持している人のようにも感じた。
そのドキュメンタリーの中で、ああ、そんなことなのかと思える場面に遭遇した。
新しいアルバムを制作中であった。
おそらくは録音も完了し、契約しているDeccaにデータも送られて、発売を待つ時点での話である。
Deccaからマネージャーを通じて修正のアドバイスが入る。
アルバムの一曲に低音が多く入っていて、やめたほうがいいというアドバイスであった。
彼女は、それは意図して低音をあえて使ったと言い張る。
マネージャーは、低音を使うと曲が暗くなるからやめたほうがいいという。
彼女は承諾しない。
当たり前である。低音を使うことは、自分自身の表出であるのだから。
最後には、マネージャー、彼女と別れた後で、勝手にしろと吐き捨てる。
マネージャーにとっての大事は、アルバムが好評を博することであるから。
これをみていて、私には腑に落ちたことがあった。
デジタルでは低音をうまく鳴らすことができないのではないか。
オーディオの全盛期と呼ばれる1950,60年代、低音の魅力は、オーディオの主流であった。
低音を強調しすぎるあまり、ボコボコとした締まりのない音を出している人も多かった。
今は、なるべく低音は出さないようにしているらしい。
低音を暗いと感じる感覚も私にはわからない。
どちらかというと、力強く荘厳な感じを与えるのが低音だと思うのだが。
暗いと感じることもあるかもしれないが、暗さも芸術にとって大事な要素ではないのか。
暗さをも、人に感動を与えるものに変えるのが、芸能であり、芸術なのだ。
トランジスタアンプとデジタルの時代になって、高音寄りのきれいな音を追求するというか、魅力ある低音が出せないために、録音段階で低音は省くというバカげた音楽シーンになっているのではないのか。
聴く側も、魅力ある低音をほとんど聴いたことがないので、というか低音は嫌な音に聴こえるので、低音は聴きたくないと条件反射のようになっているのではないだろうか。
CDがレコードの音に負けていることが明らかになると、可聴周波数以上の高音まで延ばせば、レコードの音に対抗できるとデタラメな理屈をつけて、ハイレゾなどという人々をだます方式を考え出すのだから、たまったものではない。
可聴周波数帯域を魅力ある音にする努力をしてくれないものであろうか。
ハイレゾは、手軽さだけじゃないですか。
音は中音を中心とするバランスが大事である。
かつてのように、低音ばかり出そうとすれば音は破綻する。
同様に高音を強調しても音は破綻する。
魅力ある低音を出せない音楽ソースなんて、勘弁してほしい。
ハイレゾなんて、手軽さだけが利点である。
芸能、芸術には向かない。
かつてオーディオが、新しい芸術分野ではないかと注目された時代があった。
そう思わせるほどの機器や音楽ソースがそろっていた。
1950,60年代のオーディオのゴールデンエイジである。
いまだに当時のレコード、リムドライブレコードプレイヤー、真空管アンプを求める人が多いのは、それらが芸術的というにふさわしい音を出していたからだ。
トランジスタアンプ、CDが主流になった時、そんな言葉は全く聞かれなくなった。
新しい技術が、音を退化させたからである。
手軽さだけが残ってしまった。
かつて、YouTubeに載せた私のレコード再生動画の音を聴いて、海外からコメントが寄せられた。
ハイレゾでもないのに、よい音ですねというメッセージだった。
ハイレゾじゃこんな音は出ないだろうに、が私の感想だった。
返信する気にならなかった。
周波数帯域は伸びた。音に魅力がなくなった。
音は出てりゃいいってもんではないんです。音に魅力があるかです。
測定器で周波数帯域は測れる。音の魅力は測れない。
それなのに測定器でよい数値が出ているから、素晴らしいと言って売り物にする。
音を判断する能力のない人間が測定器を頼りに作るのでは、魅力ある音など出るはずがない。
精密な測定器などなかった時代に作られた機器に名機が多いのは、測定器などに頼らず、自らの耳を頼りに魅力ある音を追求していたからである。
魅力ある低音も、オーディオにとって大切な要素です。
省くなんてやめてほしい。
GTKaudio