2018年01月
2018年01月16日
入院 その2
手術も無事終わり、私としては一安心の状態だった。
ベットに載せられたまま病室に帰ってきた。
左腕には、手術の時もついていた点滴の針が刺さっている。
心電図のモニターもつけた。
フラットなベットの上で、右足を動かしてはいけないという。
起てても曲げてもいけない。
なかなか苦しい。
朝から何も食べてはいないのだが、腹はすいていない。
それに、横になった状態で、ものを食べるのは難しい。
3時になったら30度体を起こすことができるとのことで、その時軽食をとることになった。
担当の看護婦さんは、小さくて華奢な感じの人だった。
若く美人である。
その看護婦さんが、トイレに立つことの出来ない私の小便を、尿瓶(しびん)を使って手伝うとおっしゃる。
つらい話である。
私は、下半身不随になった母親のオシモの世話を、母が死ぬまでの数年間介護した。
私自身が汚い人間だから、汚物の処理にすぐ慣れた。
初めのうち、母が恥ずかしがるのが邪魔であった。
だから照れることなく、手伝ってもらうことにする。
朝9時ごろトイレに行って以来である。点滴で水分はどんどん補給されている。
CTを使っての手術だったため、造影剤が体に残っている。
小便とともに造影剤を排出することが、大事な医療行為なのである。
2時ごろ一度試みた。
溜まっているのはわかるのに、まったく出ない。
横になったままでは無理である。
3時になり、30度、体を起こすことができるようになった。
軽食が出た。
パンにジャムを付けて牛乳で食べた。
久しぶりの食事、うまい。
さて、尿瓶(しびん)である。
体を起こしても、30度ではあまり寝た状態と変わらない。
手伝ってくれている看護婦さんには申し訳ない。
出ない。
4時ごろ、看護婦さん新たな道具を持ってきた。
ついに決断したのだ。
尿道カテーテルである。
尿道に管を突っ込んで、膀胱にたまった尿を排出させるのである。
痛い。我慢する。
どんな処置が行われているのか、さっぱり見えない。
たぶん出ている。
仕事とはいえ、申し訳ない。
「すみません」
「いえ」
また痛みが来た。たぶん管を抜いているのだ。
終わったようだ。
「こんなに出ましたよ」と、看護婦さん初めてにこっとした。
尿が出ないことが気になっていたのだろう。
尿瓶(しびん)に半分ほどの尿が入っている。
400ml。
これでどうにかなった。
夜、担当の先生がみえて、傷口を確認し、病室内なら歩いても良いとの許可が出た。
点滴と心電図モニターをトイレの近くに置いてくれたので、自分でトイレに立てるようになった。
これまでが手術の一環であることが分かった。
この間にも、点滴や心電図モニターの警告音が鳴るたびに、新たな看護婦さんの手を煩わせた。
その時、ほとんどの看護婦さんが、傷口を確認し、そのあと足に触るのである。
傷口はわかる、足がわからなかった。
心臓カテーテル手術だったのに、なぜ足?
訊いてみた。
「足の血流を確認しているのです」
そうか、片脚全体に血液を送る血管をカットしているのである。
この血管に支障があれば、足の血流が悪くなる。
たぶん足の脈を診ていたのだ。
翌朝、担当医に最終確認していただき、退院した。
2018年01月13日
入院
心臓カテーテル手術から4年が過ぎていた。
3か月ごとに受ける、血液検査、心電図、ともに結果は良好だった。
昨年暮れの12月初めに、久しぶりのCT検査をした。
検査の際、検査官の「もう一度とらせてください」の言葉にちょっとした不安を感じた。
狭さくが見つかった。
1月11日入院し、カテーテルの手術を受け、12日退院ということになった。
朝8時半から手続きをし、9時45分から手術が始まった。
局部麻酔だから、すべてがわかる。
淡々と進む。
予想外のことがあって、再びトライした時も、あわてる雰囲気は全くなかった。
11時ころ終わった。
「うまくいきましたよ。でも、これからが大事なんです」と、担当の先生。
以前のカテーテル手術は、左手から入れた。
手術が終わった後の止血は、バンドをまくことで、できた。
今回は太いのを入れなければならないため、右足の鼠蹊部から入れた。
止血が簡単ではない。
「20~30分、手で押さえておかなければなりません」
傷口を担当の先生が押さえている。
「こんな単純な作業を先生にやってもらうのは申し訳ないです」
「いえ、これをちゃんとしないと、後から内出血したりして大変なんです。ひとまかせにできないんです」と、先生。
20分ほどで終わったが、この止血の時間が、ひどく長く感じた。
手術は無事終わった。
しかし、私にとって、これから後のほうが大変であった。
続く。
2018年01月01日
Garrard Model-T そのままXMS(げんこつ)

Garrard Model-Tターンテーブルです。
アームはDecca XMS(げんこつ)が直接装着可能です。アダプターを必要としないのは珍しいです。
この時代(1940年代後半~50年代前半)のガラード製ターンテーブルは、オートチェンジャーが主流で、78回転SPから33回転LPに替ってゆく時期に当たります。
Model-Tは真空管アンプ内蔵の可搬型レコードプレーヤー用に開発された製品であると推測されます。
持ち運ぶのですから、軽量でかつ小さく作る必要がありました。
出来る限りシンプルに作られています。
画像からもお分かりのように、スイッチが見当たりません。
スイッチは、アームを外方向(中心から遠ざかる方向)に引くことで入ります。
Garrard 4HFと同じ方法です。
演奏が終わり、カートリッジが中心に近づくと自動でスイッチが切れます。
オートリターンはしません。針が盤面の溝に乗ったまま止まります。
途中で止めたいときは、アームを持ち上げ、中心軸方向へアームを持って行くと、クラッチが働いて、スイッチが切れます。
操作の様子を映像化しました。アングルが悪く、スイッチを入れる方法がはっきりしません。シュタルケルのレコード再生を見ればわかります。

新たに2枚のレコードが手に入りました。ともにモノラルです。
Garrard Model-Tで聴いてみました。
当然サンドフィルドの台座を使いました。
サンドフィルドの台座にすると、ぼんやりとしていた音が明確になり、音に艶が出ます。
ベラフォンテ、カーネギーコンサートのモノラル盤です。

シュタルケル、コダーイの無伴奏OPUS 8、私にとって2枚目です。
時代が新しいのか、外周に針受けの溝が付いていました。音が落ちるかと思いましたが、外周フラットの盤と同じ音がしました。
聴いてみてください。2度私の咳が入っています。音楽に合わせて絶妙のタイミングで咳をしているわけではありません。私の咳には音楽性はありません。あしからず。
今回は、小さなキャビネットにWharfedale CS/AL 12"を入れて聴いています。