2017年10月

2017年10月21日

第23回 2017 真空管オーディオフェアを終えて その3






もう一つ、真空管オーディオフェアで感じたことを書く。

音を聴いていた方が私のところに来てこう仰る。

「デッカカートリッジはクラッシックにしか向かないと聞いていたけど、ジャズでも生き生きと鳴るんですね」

オーディオマニアの間では、まだそんなことが定説になっているのだろうか。

まあ、誰かの言った言葉を、確認することもなく、他の人に喋る人は多い。

だから私は、何十年もやっているというオーディオマニアの言葉を信じない。

その言葉に従って、自分で確認してみると、そのほとんどは間違っている。


私がデッカを使い始めたのは、およそ30年前である。

その前はオルトフォンのSPUのみであった。

当時は、デッカのカートリッジでは、ジャズには向かないというのが定説であった。

聴いてみると、まったくそんなことはなかった。

何を聴いても良いカートリッジはよい音を出すのである。


本当に、当時言われていたオーディオの定説は、ばかばかしいものに満ちていた。

デッカのカートリッジは赤腹じゃなければ、いい音はしないというのもあった。

聴いてみると、まったくそんなことはなかった。

それで、以前このブログにも書いたが、デッカにいたジョンライトに、聞いてみた。

MK1の腹の色はもともと黒である。MK2、MK3を開発した時、色を変えた。

たぶんMK2は赤、MK3は白だったのであろう。

ただ、イギリス人は、日本人とは違い、黒の薄いプラスチックが無くなった時、新たに黒を作るなんてことはしない。

たくさんある赤や白のプラスチックをMK1用に使うのである。

音は変わらないからである。

その時のブログです。日付が書いてある。2008年のことだ。

イギリス人は、音に影響することにはこだわる。それ以外のことには頓着しない。

それに対して、日本人が大事なのは、音よりも見た目なのである。名器なのである。

ピカピカの名器をそろえて、ろくでもない音を出しているオーディオマニアはたくさんいる。

名器でもレアなものなら、他人(ひと)に自慢できる。

レアな名器なら、いい音ですよと言われて、他の人は聴いたことがないから、そうですかと言うしかない。そこが付け目である。

そんなにいいならYouTubeに出してください、というとコンピュータに慣れていないとか言って、出そうとはしない。

メールをやっているなら、できるだろう。

結局自信がないのである。

話がそれた。とにかくデッカの腹の色は音とは関係ないということである。


4年前のオーディオフェアでこんなことがあった。

オーディオを始めて間もない人と、何十年も前からオーディオをやっている人が真空管オーディオフェアに連れだってやってきた。

後者は私の懇意のお客さんである。

前もって何も知らせず、全部のブースを回り、どれがよいかと聞いたそうである。

その初心者、迷わず、GTKオーディオと答えた。

「つまんねえな」と熟練のオーディオマニア。

違うことを言うだろうから、いろいろと説明してやるつもりでいたのに、その初心者、ぴたりと的を射てしまったのである。

つまり、わかる人はすぐにわかる。わからない人は、何年たってもわからないのである。

音は感覚的なものである。芸能芸術の世界である。

論理的に説明を受けて、なるほどこの音がいいのだなんて馬鹿馬鹿しい。

そういう人は、自信がないから、評論家の推奨する機器をそろえて、これがいい音だと思い込もうとする。

自分が酔えない音を聴いてどこがうれしいのか。

音の良さに絶対的基準はないのである。

自分が酔えるかどうかである。論理的説明なんて全く必要としない。



まあ、自分の耳を信じない限り、いい音なんて出るはずがない。

大きな変化をもたらすことには無頓着で、どうでもいい細かなことにこだわるオーディオマニアが多すぎる。

数十万円のRCAピンケーブルを導入し、悦に入っているオーディオマニア。笑止である。

それを推奨してきたオーディオ雑誌。罪深い。




Garrard 301のプラッターのホイールバランスをとるための穴の数。

私がYahooでGarrard 301を売っていたころ、プラッターの穴の数を書かなければならなかった。書かなければ、これを知らなければオーディオマニアではないとばかりに必ず聞いてきた。

私が聴いた限りでは、穴の数と音の良さは全く関係なかった。

だからこのブログにばかばかしいと書いた。

これも2008年のことだ。その記事である。

今はどうなのかは知らない。いまだに穴の数を訊く人がいるのかねえ。当時は必ず聞いてきた。

Ebayとかで質問されると、日本人の馬鹿さ加減を世界に知らしめるんじゃないかとひやひやしていた。

これも検証することなくうわさを広めたオーディオマニアの馬鹿馬鹿しさである。

だいたい、こういう話をするオーディオマニアが、聴き分ける耳を持っているとは思えない。

まあ、何十年もオーディオマニアをやっているといっても、音がわかるわけではない。

初心者で、音がわかる人もたくさんいる。

芸能芸術ってそういうもんでしょう。






gtkaudio at 02:46|PermalinkComments(0)オーディオ 

2017年10月13日

第23回 2017 真空管オーディオフェアを終えて その2

さてと、独特の感覚を持った興味ある二人の方たちの二人目です。

私が新しいレコードを回し、音を出した瞬間、大きな声がした。

「そんなに大きな音を出しちゃだめだ」

ワーオ!

難癖を付けようっていうのか。

正方形に並べた座席の中央付近に座った、まさに御大と呼ぶにふさわしい老人が、私に大声で話しかけている。

聞き取りにくいうえに、感じたことがそのまま言葉になっているのか、脈絡がない。

うーん困った。

私は控えめなうえに内気な性格である。こういう人ちょっと苦手。

だから、何も言わずに従うことにする。心の中で批判はすればよい。

XMSは出力が大きく、ボリュームの位置は8時ぐらいまで絞っている。

まあいい、もう少し絞って、聴いてもらう。



私が出す音は大きすぎるとよく言われる。

理由がある。

ちゃんとしていないシステムでは、大きな音にするとうるさくなるのである。

人は好みの音量で聴けばよいのである。

音量を大きくしたとき破たんするようなシステムでは、小さな音でしか聴くことができない。

小さな音で聴くようにと指導するようなオーディオ店は信用できない。

私のシステムは、大音量にしてもうるさくはない。



ちょっと音が鳴った後である。

「いいじゃない」

う、、、なんだ、、、聴く耳は持っているんだ。

おれが努力して作り上げた音だ。あんたに言われなくても、いいに決まっている。

こちらとしては、聴く相手がこの音をいいと判断する能力があるかどうかを判断しているだけである。

私は、控えめなうえに内気な性格であるから、声には出さず、にこにこしている。

まあ、音を聴く能力はあるみたいだ。OKである。



さらに、様々なことをしゃべっている。

解読不能。

アレー、、、今度は握手を求めてきた。

私は、控えめなうえに内気な性格である。

握手を受ける。

一緒に聴いている人もたくさんいるというのに、なんとも傍若無人。

まさに御大である。



私が鳴らしている機材は、ほとんど所有しておられるとのことである。

お金持ちなんだ。

だから、同じような良い音で鳴っているとおっしゃりたいのであろう。

それはない。

私のシステムは、すべて音を良くするために手が入っているのだ。

スピーカー、ターンテーブルはサンドフィルド、Leakのアンプは電源部分もオイルコン化。

ちゃんと直していないLeakのアンプでは、小さな音でしか聴けないのであろう。

御大、その違いを聴き分ける能力がなかったことが、残念である。

私は、控えめなうえに内気な性格である。

声には出さず、にこにことお別れした。


真空管オーディオフェアでは、係りの人が、各ブースの音量を測定している。

6年出店しているが、今まで一度として注意を受けたことがない。

私のブースの音が大きく感じるのは、出ている音にエネルギー感があるからだと思う。




gtkaudio at 16:46|PermalinkComments(0)オーディオ 

2017年10月12日

第23回 2017 真空管オーディオフェアを終えて


今回は、独特の感覚を持った興味ある二人の方との出会いがあった。

感覚でそのまま話される方たちでしたので、前後のつながりがよくわからない部分もありましたが、私が理解した範囲で書きます。

まずは一人目。

その方は、真空管オーディオフェアばかりでなく、いくつかのオーディオフェアを訪問され、私のブースだけがリアルな音を出しているとのお褒めの言葉をくださった。

その方が、はじめに感じたのは、ほかの部屋での演奏を聴き、その部屋を出ようと、ドアを開けた時であった。

私の部屋から漏れてくる音に、実演をしていると感じられたそうである。

もちろん私はレコードを鳴らしていただけである。

次のような次第であった。


今回演奏したターンテーブルは、Thorens TD124にOrtofon SMG212、 Ortofon SPU GEと、Garrard RC75AにXMS用アダプター、XMS(げんこつ)の2台であった。

両方とも、私プロデュースの砂入り台座を使っていた。

その方の感じられたのは、ガラードにげんこつを付けたほうであった。

真空管オーディオフェアばかりでなく、今まで聴いてきたオーディオフェアのすべてのブースの音はコピーであると感じるそうである。

私のトーレンスにオルトフォンの音もコピーに感じる。

唯一ガラードにげんこつの音だけがリアル感があるとおっしゃるのである。

そこら辺りは、私にはわからない。

独特の感性を持ったお客様なのである。


ただ、以前、懇意のお客様が、GTKオーディオの音は、他のどの最新のアンプよりもリアルに感じると話されていたことがあった。

真空管アンプの音は暖かく、のんびりとした音と、しばしば形容されるのは間違っている。

真空管アンプが見直されているのは、少なくともトランジスタアンプよりも、リアルに感じさせる真空管アンプが存在するからである。

かつて、1950年代60年代オーディオに携わっていた人たちが目指していたのは、まさにリアルな音であったはずである。

その時代、ある意味でリアルに感じさせる音は達成できていたのだ。

そうでなければ、1950年代、60年代がオーディオのゴールデンエイジと呼ばれるはずがない。

リアルに感じるのは、仮想のものであるから、可聴周波数帯域をカバーしているかどうかなどは、関係ないことである。

測定器で測る必要などないのだ。

あくまで人がどう感じるかにかかっている。他人がではない、自分がである。

真空管アンプは暖かい音と規定するのは、書いている人は褒めているつもりかもしれないが、真空管アンプを貶(おとし)めている言葉でもある。

まあ、こうゆうことを書く人間は、他人が言っていることを鵜呑みにしているか、ちょろい真空管アンプしか聴いたことがないか、聴く耳を持たないか、のどれかである。



貶めるといえば、ついでだからもう一つ言っておく。

若者がレコードの音を再認識しているのは決してファッションからではない。

レコードは大きくて存在感があるとか、デザインがいいとか、ファッション性を強調するのは、若者たちを貶める言葉である。

そのような若者もいるかもしれないが、それが原因だったら、もっと早く見直されていただろう。

そんなファッション性だけを強調するのは若者の耳を貶めるものである。



レコードの復権は、リアル感を感じさせる音が原因である。



CDの時代の若者たちは、良い音で再生されたレコードの音を聴くことができなかった。

レコードは再生させる人によって全く異なる。

若者が聴いたとしても、ただ温かみのある音で再生されている音では、こんなものかと思ってしまう。

人を感動させる音で鳴らしているオーディオマニアは少ないのである。

自分の耳ではなく、雑誌等の他人の耳を頼りに高価なオーディオセットをそろえて満足しているオーディオマニアも多いのである。

自分が信じられないから、他人の判断に頼るのである。雑誌の評論家など、適当言っているだけなのに。

そんな人たちの音を聴いたって、感動するはずがない。

それでは、どうしてレコードの復権がなされたのか。


YouTube等のネットの影響である。


手軽にレコードの再生音を聴くことができるのである。

もちろんネットで聴く音は実際のレコードの音とは異なる。

しかし片鱗は伝わるのである。

レコードの音が温かいがぼんやりとした音だと思っていた若者たちが、いやちょっと違うと、認識を改めたのである。

レコードの再評価について、あまりにも的外れなコメントが多く、気になっていたので書いてみた。

まあ、本質を見極めないでよくしゃべる人間はどこにでもいる。



ああ、ちょっと話がそれた。

真空管オーディオフェアで出会った独特の感性を持った方はもう一人いた。

その人のことも書くつもりで始めたが、脇にそれたので長くなってしまった。

次に書く。

その人は私にとって、もっと強烈な方であった。













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