2017年09月
2017年09月28日
2017年09月24日
電解コンとオイルコン
私が調整したアンプはすべて、カップリングコンデンサは当然のこと、電源部の電解コンデンサも、英国製オイルコンデンサに交換してある。
オイルコンは、同耐圧、同容量の電解コンデンサに比べると、その大きさは30倍以上になる。
当然、アンプの中に納まらないから、アンプの下に木製の台を付けて、その中にオイルコンを並べてある。
私が好む太い音、情趣を感じさせる音を追及した結果である。
オーディオマニアのすべてが、この種の音を好むかといえば、そうではないとわかっている。
細くてきれいな音を好む人もいるのだ。
ただ、私が心強く感じるのは、かつての名器と呼ばれるアンプを聴くと、必ずと言ってよいほど、太く情趣をもった音がしていることである。
ところが、私の好みの音を出してくれる古いオイルコンデンサにも問題がある。
ひどく高価である。
ともすれば、購入したアンプと台に付けたオイルコンが同じ値段になってしまうことだってある。
こんな状態だから、私のオーバーホールしたLeak Stereo20は、35万円もする。
手のかけ方が違うから、決して高くはないが、通常売られているものに比べれば、高いと感じてしまう。
ただし、そんじょそこらのリークの音とは全く違う。
まあ、わかる人にはわかるからそれでいい。
わからない人にいくら聴かせたってわからない。
お客様との取引で、なるほどわかってくださるかと感じた場面があった。
電気知識の十分ある人に作ってもらい、私が音の調整をしたPX4シングルアンプがある。
店に来られた懇意のお客様、私から購入されたLeak Stereo20をお持ちで、満足されているのですが、PX4シングルアンプで安物の楕円スピーカが鳴るのを聴かれて、違った良さを感じられたらしく、購入したいとおっしゃった。
机の上に置いて楽しみたいとのことである。
ただ、オイルコンの台が付いたものでは、あまりに高価なので、台を取っ払い電解コンにするようにと指示をいただいた。
音のレベルは落ちてしまいますが、お客様のご要望ですから、従いました。
いくつかの電解コンを試し、これなら満足してもらえるかというレベルの音にしました。
さて、聴いてもらいました。
ダメでした。
お客様、情緒感が消えてしまったとおっしゃる。
この音だったら、買ったとしても、Stereo20しか聴かなくなってしまうとのことです。
やはり電源部をオイルコンにした音が断然良いとのことでした。
はからずも、私が目指していることを実証してくださる言葉でした。
無駄にお金をかけているのではないと、わかっていただけたのです。
お客様、次の指示は、もっと小さな台にして前のオイルコンに戻すようにとのことでした。
私の意図を分かってくださったのですから、喜んで元に戻しました。
小さな台にしましたから、オイルコンをギシギシに詰め込みました。
今日聴きに来られ、音が元に戻ったと、納得されて持って帰られました。
お客様、電源部を電解コンとオイルコンにしたものをそれぞれ作り、比較したら、皆さん納得するとおっしゃる。
それはない。
わかる人にはわかるけれど、わからない人にはそんなことをしたってわかるものではない。
わかる人は、比較しなくたってわかる。
私のお客さんはそういう人たちだ。
音の好みは、人それぞれである。
フィルムコンで修理した真空管アンプで十分だという人もいる。
それで楽しめるならば、幸せというものである。
フィルムコンならば、安上がりだし、電気的性能はこの上なく良い。
私の店は、それでは満足できない人たちのためにある。
音は、感覚でとらえるもの、芸能芸術的世界に属するものと、私は思っている。
論理や理論でとらえるものではない。
PX4のシングルアンプ、昔YouTubeに載せた映像がありますのでお聴きください。
モノラルです。濃厚なモノラルの音は大好きです。
次は、お客様の聴かれた楕円スピーカーです。
2017年09月14日
ダルトン トランボ
ハリウッドで活躍した映画の脚本家である。
その生き方に、目を見張る。
自由の国アメリカで吹き荒れた赤狩りのため、1947年から10年以上にわたってハリウッドを追放される。
その間1年間収監され、以降表立って仕事をすることができなかった。
どうしたか。
生き延びるために、闇で、B級映画の脚本を書いたのである。
さらに、ハリウッドでは仕事ができないため、仲間の名前を借りて、「ローマの休日」の脚本を書く。
1953年、アカデミー賞を受賞するが、当事者以外、誰もトランボが書いたものだとは思わない。
B級映画製作会社に、偽名を使い、「黒い牡牛」の脚本を売る。
1956年、これもアカデミー賞を獲得する。
偽名であるから、授賞式には誰も現れない。
この頃になって、「黒い牡牛」の脚本は、トランボが書いたものではないかとうわさされるようになる。
しかし本人は肯定しない。
1960年、「スパルタカス」「栄光への脱出」の2本のハリウッド映画から、脚本トランボと公表される。
ハリウッドが認めざるを得なかったのである。
自らの力で風穴を開けたことになる。
以降、脚本家、監督として次の作品にかかわる。
「いそしぎ」
「ジョニーは戦場に行った」
「パピヨン」
「ダラスの熱い日」
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」の映画と、原作を読んだ。
映画は面白い。
原作も、飽きることがなかった。
周囲の冷たい目を向こうに回して、このような生き方もできるものか。
まあ、ただ者ではない。