2015年12月
2015年12月22日
給湯器
銭湯に通うようになった。
家風呂よりも、確かに温まる。湯冷めしない。
夜8時ごろ、店から通う。
家風呂より銭湯のほうがよいから、通いだしたわけではない。
今年の夏ごろ、家の給湯器が故障した。
新品に取り換えて10年たつか経たないかである。
日本のメーカーもやわなものを作るものだ。
この前の給湯器は20年ほどで故障した。
修理してもらおうとしたが、外の給湯器を見ただけで、修理は無理だと言われた。
給湯器は電化製品なのだという。
寿命は10年なのだそうだ。
大工さん、工事に来た人に聞いても、異口同音に言う。
ほとんどが電気系統の不具合のはずである。
お釜が10年でダメになるとは考えにくい。
電子部品のストックが10年ということなのであろう。
電子部品だけでなく、お釜まで取り換えなければならないのだ。
買い替え需要を掘り起こす、それが頭の良いやり方なのだろう。
こんなことを考える人たちは、耐久性のある商品を作ることを誇りにしていたかつての日本人が、馬鹿に見えるのかもしれない。
話を聞いているだけで気分が悪くなる。
「メーカが言っていることですよ」
「ええ、それは分かっています。それ自体が駄目だと言っているのです」
修理に来た人から、また同じ話を聞くのが嫌なのだ。
修理しないことにした。
だからお湯は出ない。家風呂にも入れない。
銭湯に行くのである。
2015年12月09日
おろしがね
どうもサンマがうまい。
高級魚ではないし、私が買うのは、冷凍だから安物である。
それでも弱火でじっくり焼けば、なかなかのものである。
どんぶりばち一杯ほどの大根おろしに、醤油とたっぷりのポッカレモンをかける。
焼いたサンマの身に、だいこんおろしをまぶして食べる。
サンマの身より、大根おろしのほうが多い。
うまい。
私は食通でないから、こんなもので十分である。
唯一つの欠点は、おろしがね(今はプラスチック)で大根をするのが面倒くさいことである。
それでもうまいので、週一ぐらいで食べている。
食通ではないが、うまいものはうまい。
このことを友人に話したら、友人も同意見らしく、食事に焼き魚が出た時、大根おろしがないと奥さんに言ったそうである。
奥さん黙って立ち上がり、興味ある行動をした。
大根とおろしがねを、友人の目の前に置いたのである。
食いたきゃ自分で大根おろしを作れ、という意味である。
話だけ聞いていても、奥さんの行動の鮮やかさに気を取られてしまった。
それで、友人の次の行動について訊くのを忘れた。
たぶん自分で大根をおろしたはずである。
奥さんなかなかやるね。
もう少し奥さんの思考をたどってみたくなった。
以降は私の推測。
魚を焼いているときである。
あのひと、大根おろしと一緒に食べたいというかな。
大根おろしの味と、おろす手間をはかりにかけた。
面倒くささが重かった。
だから今日は、大根おろし無しにする。
手間と味とをはかりにかけりゃ、手間が重たい女の世界。
さて食べる段になった。
旦那、やはり大根おろしを所望した。
それで、旦那の前に、大根とおろしがねをドン。
旦那、一所懸命におろしている。
少したまった。
奥さん、「今できたの私にちょうだい」
旦那、水分を捨ててしぶしぶ渡す。
旦那、一生懸命おろしている。
奥さん、にやりとする。
なかなか良い風景である。
私の友人(旦那)が事実を知らせてきた。
間違っているところがあるそうだ。
彼は私の推測通り、大根をおろした。
しかし、食べたのは自分が先である。
食べた後、やおら奥さんに与えたのであると主張している。
なるほどそうであるか。
彼は強硬に主張しているが、私の想像と大差はないようにも、私には思える。
その辺どうでしょうかね。
あ、わかった。
彼は、奥さんには残り物をあげたんだと言いたいのだ。
だけど、大根をおろしてるとき、奥さんの分も考えてすっていたはずである。
結局は同じことだ。大根おろしから、やさしさがあふれている。
男にはメンツがある。
奥さん、そこのところ、よろしく。
まあ、どちらにしてもよい風景である。
大根おろしを作るのは、力のある男の仕事である。