2015年09月
2015年09月11日
2015 第21回 真空管オーディオフェア 番外編
本年度の真空管オーディオフェアに、GTKオーディオは出店できなかった。
顛末は後に書く。
その代わりに、真空管オーディオフェアの行われる損保会館の道路を挟んで向かい側にあるホテルマイステイズ御茶ノ水の2階のルームDで10月11,12日、GTKオーディオの試聴会を行う。
部屋の広さは、去年GTKオーディオが損保会館で使った部屋よりほんの少し広い。
今回出店できなかった顛末はこうである。
去年の部屋の抽選は、希望者が私一人だったから、無抽選だった。
4階、エレベータを降りて左へ進み、突き当り左のS3の部屋を第一希望にしていた。
去年と同じ部屋である。
今年は私を含めて2社の抽選になった。
ハズレであった。
当選した会社は、単独での出店をお望みで、共同開催はしないとのことであった。
他の大きな部屋にするかと思ったが、選考方法が、去年と違っていた。
主催者の会社が、去年出店できなかったとの理由で、第2希望の前に出店する部屋を確保してしまった。
大きな部屋は全部埋まった。
6,7社が入る大部屋では、試聴の時間が短いため、出店する気になれない。
私は、音を聴いてもらいたいのです。
どうしようかと考えた。
お客さんの数は少なくなってしまうと思うが、真空管オーディオフェアの当日に、他の会場を借りるしかない。
はじかれたのですから、主催者側にも納得してもらえるだろう。
2015年度真空管オーディオフェアの開催される10月11,12日、損保会館の道路を挟んだ向かい側にあるホテルマイステイズ御茶ノ水2階Dルームで、GTKオーディオの試聴会を行います。
多数のお客様のご来訪をお待ちいたしております。
10月11,12日
ホテルマイステイズ御茶ノ水(損保会館向かい)
2階Dルーム
午前10時~午後7時(最終日は撤収の準備のため終了が早まることもあります)
もちろん無料
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2015年09月06日
他人(ひと)の心を読む
25年続けていた塾をやめるころの話である。
高校3年生の英語授業を受けていたのは、女子高生一人だった。
個人授業になっていた。
中学から私の塾に来ていた。
地元では一番上の高校に合格して、塾には来なくなっていたけれど、高3になって復帰した。
お嬢さんタイプの美人だった。
家での課題として、入試読解文を読んできて、全文の和訳を私がつけてあげていた。
英語は優秀だったので、京都大学の2次試験問題を課題として出した。
私は内容を読んでいなかった。
授業前に読んでおこうと思い、私が予習しているときである。
シマッタと思った。
内容が硬すぎるのである。
思想的内容の論理が展開されていた。
授業である。
分からなかったろうと恐る恐る聞いてみた。
分かったというのである。
内容を聴いてもちゃんと分かっている。
見直してしまった。褒めるしかなかった。
翻訳する必要もない。
時間が余ってしまった。
私立の問題を、ぶっつけで読ませることにした。
私も、読んでみた。
小説的文章で、易しいと思った。
内容はこうである。
娘が、一人暮らしをしている年老いた母親を、月に一度車で食事に連れていく。
その帰り道、車内の描写である。
母親は、口数少なく、寂しそうにしている。
娘が、母親を思いやる良い文章であった。
大丈夫だろう。
反応が予想したものではなかった。
「よくわからない」
「え?どこが}
「お母さんが、寂しそうにしているところが」
ああ、英語の問題ではない。
「お母さんは、月に1度の外食を楽しみにしているんだ、それが終わろうとしているんだよ」
まだしっくりきていないようだ。
「俺が小学生のころ、土曜日は午前中授業があった。土曜日の午後が一番うれしかった。自由な時間が来たんだ」
「日曜日の夜、憂鬱な気分になるんだよ、自由な時が終わろうとしているんだ」
分かってくれた。
それにしても何だろう。
頭はいいのに、これぐらいのことが感じられないのか。
一緒にいても、相手が何を考えているかを、感じる人と感じない人があるらしい。
私の付き合う友人たちは、当然感じる人たちだから、このような人間に会うと驚いてしまう。
若いからではない。年を取った人にもいる。
町内会の人と話す機会があった時、
「他人の本当の気持ちぐらい、口ぶりとかしぐさで分かるでしょう」と私が言ったら、
「そんな馬鹿な、相手の気持ちなんかわかるはずがない」と、真っ向否定された。
友人に、このことを話したら、
「そういう人間は、こちらが気付いていないと思うから困る。とんでもないことを思いつくんだ」
その通りである。
見え見えのことを、さもよい方法を見つけたとばかりにやってくるから驚いてしまう。
自分のレベルでしか判断できないから、こちらが分からないと思っているのである。
こちらとしては、呆れてしまって、表ざたにしないだけのことなのに。
相手は、やったぜとばかり、得意になっている。
本当に、この種の人間とつきあうのは馬鹿バカしい。