2015年03月
2015年03月13日
友人H
もう45年以上前、大学に入学してまもないときであった。
昼休みだったろうか、私の横で二人の同級生が、将棋を始めた。
将棋盤があるわけではない。盤は二人の頭の中にある。
2六歩のような言い方で、交互に言い合っていた。
どちらが勝ったかは知らない。
私はこの状況が受け入れられなくて、その場を去ったのだと思う。
多くの人がいる中で、自らの能力をこのようにあからさまに表すことに反発を感じていた。
今思えば、将棋好きの人たちにとって、棋譜を覚えているなどということは、当然のことかもしれない。
私のような記憶力の劣った人間にとっては、途方もないことに思え、能力をひけらかしているように感じてしまったのである。
おそらく彼らにそのような感覚はなかった。いつものことであったのである。
二人は共に、仙台と東京の一流校の出身であった。
これぐらいの能力をもった人間はざらにいたのである。
何も能力をひけらかしていたわけではなかったのだ。
それに気づくのに、私は大学で数箇月過ごす必要があった。
それから2年程が経過していた。
反発を感じた二人とも、なんのわだかまリもなく普通に話をするようになっていた。
特に仙台出身の奴は、独特の色を持った人間で、「あいつは優秀だよ」と噂されるのを何度も聞いた覚えがある。
数学科であった。大学の専門課程で学ぶことなどは、多分自分で終えていたのだと思う。
数学科の同級生が助教授から、
「H君は、たくさん本を読んでいるようだけど、どんな本を読んでいるのか、知っていたら教えてくれない」
と訊かれたそうである。
ああ、その助教授、やりにくいだろうなと思った。
そのHが、昼間に突然私の下宿に訪れたのである。
初めてのことであった。
手にはワインのボトルを1本持っていた。
昼間から二人でワインを飲んだ。まあ、昼に酒は珍しくもなかった。
ただワインは大学時代その時だけだったと思う。多分家からくすねてきたものだろう。
彼は、いつもとは違っていた。
沈んでいたのである。
数学者の話になった。
「大数学者だって、そんなに論理は緻密ではないんだ」
「そんなものか、俺にはなんとも言えないが」
「論理能力は俺の方が上だと思うよ。ただな、奴らにはヒラメキがあるんだ。そこが俺との違いだ」
ヒラメキなどという学問とはかけ離れたと当時の私には思えた言葉に、私の顔はきょとんとしていたのだと思う。
「お前なー、ヒラメキこそが大事なんだぜ」
ワインを私はそれほど飲まなかったと思う。私は飲める方ではない。
彼がほぼ飲んだ。
私には、彼の言うことがよくわからなかった。
真に大事なことを語っていたのだと今は思う。
私などは、才能がないから、論理を積み重ねれば、学問の新たな地平に到達できるものと、なんとなく思っていた。
そうではないと今はわかる。
最先端まで来たものは、飛び跳ねるためのスプリングボードが必要らしい。
跳躍によって、打ち上げられた仮説の着地点は、ほとんどが海または谷底なのであろう。
それでも跳躍しなければならないのだ。
対岸を求めて、飛ばなくてはならないが、そのスプリングボードさえ、何によってもたらされるのかいまだにわからない。
論理や知識だけではないことは分かっている。
論理や知識をしこたま持ったものは、少ないわけではないのだから。
2015年03月04日
「理解」という言葉
この頃引っかかっていることがある。
「理解」という言葉についてである。
まずは受け売りから。
だいぶ前に本で読んだ。
「理解」は、当然「理を解する」ことである。
「理」は、石に関する言葉だそうである。
大きな石を割る際、やたらめったらに石をたたいてもなかなか割れない。
石工(イシク)は、まず石を観察し、「理」を見極め、方向を決めたのち、鑿をうがち、たたく。
パカッと、簡単に割れるのだそうである。
能率、出来栄えともに、「理を解する」ことが、石工の能力を決定する。
ここまでは受け売りである。
以降は私が引っ掛かっていることである。
「理解」という言葉には、「理を解して」、なかなか割れなかった石が見事にパカッと割れた時の感動が含まれている。
話は変わる。
私が高校生の頃、三角関数がなかなか理解できなかった。
私は、他人から教えてもらうことが苦手であった。
教師の話を聞いていても、「昼行燈(あんどん)」のように、ぼーっとしていた。
どうせ俺にはわからないと、諦めていたのである。
その分、夜になって、参考書を頼りに、一人で勉強する。
勉学の能力は劣っているほうだから、なかなかわからない。
一つ一つの論理はわかる。だけどまったく繋がって行かない。
全体が、見通せないのである。
数日、いや、一週間ばかり悶々としていた。
ある日、どうしようもなくなって、直角三角形をぼーっと見ていた。
啓示は突然やってきた。
何がきっかけであったのかは忘れたが、わかったのである。
すべてがつながった。感動である。
「理」を見極めたのである。
私のような能力のない人間の逸話は別にどうでもよい。
人が難問に苦しみ、それが解けた時の感動心地よさが、石の理を解して石がパカッと割れた時の感動心地よさと、同種のものであると昔の人が感じた時、「理解」という言葉を現在のように使うようになったのだと思う。
「理解」という言葉は、神の啓示のように、「理」を見極めた人間の感動を伴う。