2014年08月
2014年08月30日
第20回 真空管オーディオフェア

GTKオーディオは、今年も出店する。
今年は張り込んで、単独で広い部屋にしたのはいいのだけれど、出店費用の捻出に苦しんだ。
窮状をお話ししたら、二人のお客さんが手を差し伸べてくださり、値の張る品物を購入してくださった。
大変助かった。感謝です。
そんなわけで、広い部屋の408号室(47㎡)を単独で使うことができる。
交替ではなく、音を常に流せることがうれしい。
今年の目玉は、小型のWharfedale Sandfilled スピーカーと砂入りターンテーブル。
YouTubeでも音出ししていますが、実際に聴けば、また違って聴こえると思います。
良い音はつくりだすものと考えているGTKオーディオです。
実際の音をどうか体験してみてください。
YouTubeのgtkaudioへのリンクです。
2014年08月21日
ラテン音楽
久しぶりにラテン音楽を聴いた。
中南米の音楽といえば、今はレゲエなんでしょうが、我々の時代はラテンでした。
とにかく明るくて、元気な気分になる。
2曲アップしました。聴いてみてください。
お分かりかとも思いますが、お断りしておきます。
今回アップした曲に限らず、私の出している音が良いと感じられるなら、その主因はLeakのアンプにあります。
ただし、Leakのアンプを海外のオークション等で購入された方はわかると思いますが、GTKオーディオのような音は決して出ないはずです。
GTKオーディオのLeakは、オーバーホールと言っても構わないくらいに手を入れてあるのです。
劣化した基板上の部品は、ほぼ全てNOSの当時使われていた部品に交換してあります。
部品の選定は、私の好みの音を出してくれるかどうかで決めています。買っても気に入らなかった部品もたくさんあるのです。
以前にも書きましたが、良い音は作るものであると私は思っております。
さらに、ほかでは到底やっていないことも、良い音を作り上げるために、徹底してやっております。
GTKオーディオのLeakアンプには、木製の台が必ず付いています。
この台は飾りではなく、電解コンデンサに比べて場所をとるオイルコンデンサを収納するための台なのです。
電源部分の電解コンデンサを全てオイルコンデンサ化するためのスペースです。
Stereo20を例にとると、32+32uFのブロックコンデンサが2個使われておりますが、GTKオーディオのStereo20では、通電しておりません。残してあるのは飾りのためです。
その代わり、木製の台の中に大きなオイルコンデンサが並んで、その役割を果たしております。
以上のことは、私の好みの音を追求した結果としてたどり着いたものです。
GTKオーディオのLeakが他と音が違うのは当然なのです。
良い音は作り出すものです。
さまざまな工夫をしましたが、その多くは結果としての音に結びつかずに捨ててきました。
素晴らしいと思っても、やってみたらダメだったとき、その方法を惜しみなく捨て去ることができるかが、良い音を作れるかどうかの大きな分かれ目です。
要は、結果としてよい音になっているかどうかです。
私は、通常では隠してしまうようなことも、このブログに書いてきたつもりです。
以前書かれたブログを読んでいただければ、GTKオーディオの秘訣はわかるようになっています。
もちろん、その当時とは違った改良をしていることもありますが、ひどく外れてはいないはずです。
ご参照ください。
2014年08月09日
音について
私は、絵画について書かれた本を読むことがある。
絵画が分かるためではない。
絵画は全く分からない。
文学として読む。
たぶん絵画を分かるためには、たくさんの絵画を観なければならないのだ。
映画について書かれた本も読む。
映画が分かるためではない。
映画は少なからず観てきたから、少しわかる。
しかし文学として読む。
映画について書かれた本からその映画の本質はわからない。
映画の本質は、映画をたくさん観ることでしかつかめない。
オーディオに関して書かれた本は全く読まない。
そうでもないか、瀬川冬樹さんの本は昔読んだことがある。それだけかな。
オーディオ関連の本は、文学として読むに堪えるものがほとんどない。
音はわかる。
他の人の評価などどうでもよい。
自分の好みで音決めすればよい。
本を読むことで芸術の本質が分かるなら苦労はない。
芸術は、多くの作品に接して、感じなければ意味のないものである。
芸術は論理ではないのである。
私がその芸術分野を分かるかわからないと区別するとき、感じることができるかどうかで決めている。
文学的感動がなければ、すなわち感じなければ、本を読む意味はない。
本は文学として読む以外にない。
以前ある文学者が書いた文を引用しました。
短い言葉で本質をついています。
「文学は、人間や、人間が作っている世間への理屈を超えた情趣や、あるいは論理で持って表しがたいなにごとかを言語で書くもの」
これは文学に限っていますが、すべての芸術に通ずるものです。
「映画は、人間や、人間が作っている世間への理屈を超えた情趣や、あるいは論理で持って表しがたいなにごとかを映像と音声で描くもの」
てな具合です。
本質は、言葉では表すことのできないものです。感じるしかないのです。
オーディオに関係する者は、自らを、言葉ではなく音で表現する以外ないのです。
すべての芸術は、感じてもらう以外、しようのないものです。
受け手も、感じる能力を磨いていただかなければなりません。
音は理解するものではありません。感じるものです。
GTKaudioへのLINKです。音を聴くことができます。
2014年08月08日
2014年08月07日
砂入りターンテーブルと砂入りスピーカーでステレオ再生
考えてみたら、ターンテーブルとスピーカーをともにSandfilledにしてから、ステレオの再生をアップしていませんでした。
3曲アップしました。
振動を抑えるのではなく、響きの良い振動に変えるという考えから作られた私のシス
テムは、どうでしょうか。
振動を抑えようとすれば、大がかりになりがちですよね。
商売としていいのかもしれません。
まずはJazz.日本製のスーパーアナログディスクです。
続いて、美空ひばりです。若いころは好きではありませんでしたが、やはり認めざるをえません。
最後に、昔2枚組み2500円で買った格安の映画音楽のレコード。日本人による演奏ですが、良い演奏です。録音もいい。
私の目指している野太く情緒感のある音、を感じていただけるでしょうか。
音は芸術です。
その音を出している人間が顕れるものです。