2013年12月
2013年12月14日
Quad真空管アンプのオーバーホール
Quad真空管アンプのオーバーホールを頼まれました。
以前、音を良くしようと苦労した記憶があります。
部品を交換しても、Leakのようには音に変化がなく、半分あきらめていました。
諦めから、しばらくQuadからは遠ざかっていました。
時間をおいてのち、最後に、台座をつけての電源部分のオイルコン化を試してみました。
劇的に音が変わり、ようやく納得できる音が出ました。
これは数ヶ月前のことでした。
お客様のお持ちになったQuadは、元々のQuadの音です。
店で、お客様所有のQuadと、私がオーバーホールしたQuadを比較試聴され、オーバーホールをして欲しいとのことでした。
オーバーホールは大変です。
できれば、私のQuadとお客様のQuadを交換するのはどうですかとお話を向けると、それでも良いとのことでした。
決まりです。
昨日お客様にお送りしました。
お客様のご要望で、出力インピーダンスを7Ωに換えてあります。
私の店のスピーカーは、ほとんどが15Ωです。
タンノイのチャトワースが8Ωですので、久しぶりにタンノイを鳴らしました。
店主の好みの音です。通常のQuadの音とは違うと思います。
レストアの仕方によって音が異なることをわかっていただけるはずです。
録画し、YouTubeにアップしてあります。
お聴きください。
2013年12月03日
転向について
高校時代から、強弱はありながらも私の心を常に捉えてきた転向のことを書いてみたいと思う。
太平洋戦争の時代、戦争に反対していた日本の多くの文学者、知識人が、権力の弾圧に抗しきれず、転向し戦争推進派になるものさえいたという現象について考えてきたのである。
小林多喜二は、その間転向することなく、拷問によって獄死している。
獄死したものと、転向によって生き延びたもの、対比は強烈で、高校時代の私は、自分自身がこのような時代に生きたならば、どちらを選ぶかを突きつけられているように感じた。
どう考えても、自分自身が拷問に耐えるだけの強い心を持っているとは思えなかった。
自分は転向するだろう。権力の弾圧を撥ね返すこともできず、転向してしまった自分を見つめながら、それ以降の人生を生きていかなければならないことに、耐えられないのではないかと思った。
若い頃の私の捉え方は、あくまで個人の問題で、自らの恥になるような状況が耐えられないというものであった。
私の考え方が間違っていたのではないかと気づいたのは、40歳を過ぎていた頃だとと思う。きっかけがあったわけではない。あるとき急に感じたのである。
転向後、あの戦争推進に回った人たち、弾圧に抗しきれずそうなったのではなく、戦争推進することが正義であると信じたのではないか。
戦争反対の時代から、かなりの時間が経っている。自分たちの周りの人たちは、そのほとんどが、戦争賛成である。
緒戦は華々しく日本に有利な戦況であった。いつまでも一人孤立していることができなかったのではないか。
日本人は、みんな一緒であることを要求し、一緒でありたいと思う国民である。
孤立することに不安を感じ、頑固を押し通すことができないのである。
日本人にとって、転向の問題とは、私が高校時代に考えていたような個々人の覚悟の問題ではないのである。
意識することなく、大きな流れに流されている、それを明確に認識することができないことに問題があるのである。
この問題が現代とつながるところを考えてみる。
福島原発事故が起こる前、原発誘致の集会で、推進派の教授たち、日本国民を欺いてでたらめを言っていたのだろうか。
そうではないと思うのである。あの人たち事故を想定するだけの技術的能力と想像力がなかったのである。
誘致集会での原発推進派の話し振りを見ると、この人たちは日本の原発で事故など起こり得ないと本当に信じていたのだと思われてくる。
多くの学者たちが安全だと思っている。それに乗らない手はない。孤立するなんて嫌だ。大きな声で原発の安全性を叫べば、流れに乗ることができる。このような考えが彼らの中で無意識に働くのである。
プロであるならば、危険性ぐらい認識していただろうと思うかも知れないが、彼らにおそらくそれだけの能力はなかったのである。
危険性を認識する能力のない人たちが、よってたかって作り上げたのが、日本の原発であったのでしょう。
能力がないということは、つらいことですね。