2013年08月
2013年08月29日
極私的解釈 ファイト 中島みゆき Goodmans Maxim
私が応援歌三部作と勝手に思っている三曲の最後です。
本当は、ファイト、 地上の星、 ヘッドライト・テールライト、と並べるべきだったかもしれません。
ファイトをはじめて聴いたとき、前後のつながりの無い話がばらばらに出てきて、コリャ何なんだろうと思いました。
それが、中島みゆきがディスクジョッキーをしていたときの、若者たちの苦しみや悲哀を綴った投稿だということがわかって、ようやく理解できました。
小魚たち(もちろん若者たち)が、苦しみもがきながら、川を上り、さらには大海(社会)へと出てゆくイメージには、思わず「がんばってくれ」と声をかけたくなる力があります。
極私的解釈、これで最後です。私の勝手な想像にお付き合いいただき、ありがとうございました。
YouTubeもうすぐアップロード完了します。
完了しました。お聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=iOQsijVBjzM&feature=youtu.be
2013年08月25日
極私的解釈 ヘッドライト・テールライト 中島みゆき
この曲は、まさに極私的解釈になります。
勝手な想像をお許しください。
青白い月影の荒野。
前照灯(ヘッドライト)をつけた機関車を先頭に列車が行く。
白熱灯が列車内を暖かく照らす。
最後尾は赤い尾燈(テールライト)。
この列車に乗っている期間が、その人の活動時期である。
あとは地上の星となって忘れられてゆく。
列車内の人は代わる。
継承と、加えられる新たな創造力が、列車を走り続けさせる。
ここまで書いてきて、こんな解釈をぶっ飛ばすような全曲に流れる豊かな叙情性は、どこから来るのかと考えてしまいました。
ああ、この曲は鎮魂歌ですね。
中島みゆきの死生観さえ感じてしまいます。
女性にもかかわらず、覚悟はできています。
死んで星になれるはずも無い私が、小高い丘の小さな塵にでもなって、この列車を見ていたい気分になりました。
まあそんなわけで、解釈はやめです。
このような曲の解釈なんて野暮です。感じればいい。
Youtubeへのアップロード、ずいぶん時間がかかるようになったのですが、私のシステムだけでしょうか。
今回は、GoodmansMaxim新着のペアです。どうしたわけか、そのまま鳴らして問題がありませんでした。こんなの初めてです。今まではすべて手直ししていたのですが。
YouTubeです。
この曲に流れる豊かな叙情性を感じていただけるでしょうか。
感じていただけるなら、私がオーディオに求める本質をわかっていただける方です。
オーディオは、芸術であると私は信じております。
ですから、時として、官能的でさえあるのです。
2013年08月17日
極私的解釈 地上の星 中島みゆき
中島みゆきの歌詞がいい。
特に人生の応援歌がいい。
若者への応援歌がファイトである。
それに対して、大人たちへの応援歌が、地上の星にあたる。
わかりやすい歌詞ですが、楽曲のすばらしさに気をとられていると、歌詞は見逃すこともよくあります。
僭越ながら、地上の星の極私的解釈をして見ます。間違っているかもしれません。そのときはご容赦を。
さて、解釈します。
風の中のすばる
砂の中の銀河
草原のペガサス
街角のビーナス
崖の上のジュピター
水底のシリウス
これらすべてが地上の星です。
この星たちに続いて、必ず次の歌詞が入ります。
みんなどこへ行った見送られることもなく(見守られることもなく)
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
プロジェクトXから考えると、地上の星は、名もない研究者、技術者、職人の喩(たとえ)です。
未知のものに、自らの創造力をふりしぼり、果敢に挑戦した研究者、技術者、職人たちのことをあらわしています。
この人たち、空に輝く星のような脚光を浴びることはなく、地上で光り輝いている。
地上にあるために誰もその光に気づかない。
人々が見つめるのは空の星(有名な人たち)だけである。
ですから歌詞は、
つばめよ高い空から教えてよ地上の星を
つばめよ地上の星は今何処にあるのだろう
と続きます。
プロジェクトXは地上の星を見つけるつばめになろうとしたのです。
私などは、中島みゆきのやさしさを感じてしまいます。
まさに名も無き人々への応援歌です。
確かに、生涯努力して、それだけの成果を残しながら、脚光を浴びることなく、静かに去っていった人々(地上の星)は少なからずいたはずです。
その人たちを、中島みゆき、優しい目で見つめています。
さらに、ちゃちな表現力と世渡りのうまさのみで、有名になった偽者(にせもの)を信奉する人たちを一刺しします。
名だたるものを追って輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
ここで氷とは、偽の光を発しながら、掴むと融けてしまって何も残らない物の喩です。
すなわち、くだらないものです。
人々は、有名な偽者を信じて、名もない真の人を無視するということをあらわしています。
まあ、良くあることです。
ほら、名だたるオーディオ評論家の言葉を信じて、氷を掴んだ経験のあるオーディオマニアも多いはずです。
それと似たようなものです。
中島みゆき、良くぞ言ってくれた。
いま、地上の星をYouTubeにアップしていますが、1時間ぐらいかかるそうです。
後で、リンク先を書きます。
アップしました、リンク先です。
今回は音ではなく、言葉を聴いてください。
2013年08月13日
Wharfedale 10" speaker
以前YouTubeに載せたWharfedaleの10”スピーカーを覚えておられ、あの可搬スピーカーがあれば購入したいと懇意のお客様が仰る。
4Ωユニットであればお譲りできるとお答えしました。
それでも良いとのことでした。
そのユニット、スポンジのエッジで、50年ほどの間に劣化し、エッジはすべてなくなっていました。
布のエッジをこちらでつけることにしました。
出来上がって音だしをしてみると、なかなかの音です。
バッフルの上面と側面に板を張り、立つようにした簡単な構造ですが、驚くほどの音がします。
これを聴いたときも、英国製の箱は、木からして違うのではと思ってしまいました。
お客様の目の前で、YouTubeにアップしましたが、実際の音は残念ながら伝えることはできませんでした。実際はもっと魅力的な音です。
お客様がお持ち帰りになりましたので、もう店にはありません。
まあ、お聴きください。
YouTubeで再現できないところは、むせび泣くような音です。
ぼろぼろですから、音よりも綺麗なものを求める人たちには、到底理解できない世界ですが。
以前、ジャズボーカルを鳴らしたときの音も聴いてください。
二つを比較すると、店にあるうちに、傷もだいぶ進化しておりますね。
2013年08月10日
成田空港
「Mを迎えに成田に行ってやろうと思うんだけど、俺一人だと危なっかしいからお前も行ってくれない?」
電話の相手は福島、沖縄旅行に一緒に行った友人Hである。
「おまえ一人じゃ駄目だよ。Mじゃなく、別の人と帰ってくることになる」
う・・・、確かに俺はうかつだが、そこまではなあと思いつつ、一人だと、飛行機の着陸時刻に間に合わないぐらいのことはありえるので、黙っている。
まあ、俺をよく理解しているから、話はすぐにまとまる。
Mに電話してみるとのことである。
福島旅行にはMも一緒に行っていた。
沖縄旅行には、Hと私を迎えに、Mは羽田まで来てくれた。
もちろん、そんなことしなくていいよといったけれど、Mは強行だった。
いざ迎えてもらったら、疲れた体に、お迎えが、どんなにありがたいものかということが分かった。
今度はこちらが迎えてやろうということである。
Mから電話があった。
固辞している。
「俺がお前を家まで送っていかなくちゃならなくなっちゃうぜ」
う・・・、まただよ。
しょうがねーか、俺はうかつなことを重ねてきたからな。
いろいろ言ってみたが、なかなか承諾しない。
「みんなでわいわい言いながら帰ってくればいいじゃないか」
「うーん、それも面白そうだな」
ん?食いついたぞ。
そうだ、奴は楽しいことが大好きなのだ。
迎えの状況はMがこちらに書いています。