2013年01月
2013年01月31日
エスノセントリズム
エスノセントリズム、この言葉からすぐに連想するのは、昔テレビで見た映像である。
おもちゃの汽車のあとを、4,5羽のアヒルの雛が列をなして追いかけるのである。
汽車が右に曲がれば右へ、左に曲がれば左へ、飽くことなく追いかけている。
はじめはかわいらしさに惹かれ、その理由を訊いて、さらに惹きつけられてしまった。
そう、「刷り込み」というらしい。
卵からかえった雛は、最初に接した音をたてて動くものを好きになる。
いつもそれのそばにいたいと思うのである。
おもちゃの汽車を追いかけた雛たちは、生まれて最初に、その汽車に接してしまったのである。汽車を愛してしまった。
興味深い。
アヒルは、生まれて最初に接するものは親鳥であるはずだ、という確率に賭けているということになる。
はずれれば、死を意味するが、確かに当たる確率は高い。
ネット上で映像を探しました。
さて本題に入ろう、エスノセトリズムである。
この言葉を知ったとき、ああ、人間にも同じようなことがあるのかと、感動した。
エスノセントリズムは、もっと時間をかけて起こることである。
人が暮らすその場所、その暮らし方、考え方に知らず知らず愛情を感じてしまうものだというのが、私の理解したエスノセントリズムです。
海外から帰って来た人たちが、「ああ、やっぱり日本はいいわ」とか、「ふるさとが一番」なんかもエスノセントリズムの一種でしょう。
人間も生物的本能に、かなり支配されている。
私は若い頃、意識はインターナショナルでなければならない、日本を身びいきするようでは駄目だと思っていました。
それでも、スポーツの世界戦などを見れば、日本が勝ってほしいと思ってしまいます。
スポーツでこうなんだから、戦争になったら、軍国主義に走るんじゃないか、修行が足りないなと感じたものです。
エスノセントリズムを知ったとき、生物的本能として、すなわちエスノセントリズムとして、そう感じてしまうのは当然のことなのだと理解しました。
このとき、絶対に理解しておかなければならないことは、他国の人たちも同様に、「俺の国が一番だ、なんと言っても暮らしやすい」と感じていることです。
その国がどんなに貧困で、私たちから見れば、そんな国なら逃げてしまえばいいのにと思うような国でも、大半の人々がそこに踏みとどまる、そしてその場所、その国に愛情を注ぐ。
まさにエスノセントリズムです。
慣れ親しんだところが一番いいのです。愛情を感じてしまうのです。人間はそういう生物なのです。
アフリカで生まれた人類が、移住を繰り返し、世界に散らばって行ったとき、頑強で勇気のある人たちが移住して行ったのだと、かつて私は思っていました。
テレビを見ていたら、ある学者さんが、「移住した人たちは、そのコミュニティーの中では、弱い立場の人たちのはずだ」と述べたのを訊いて、ハッとしました。
その通りです。すごい学者さんです。
エスノセントリズムがあるのです。そこに残りたかったはずです。
そのコミュニティーでは食べていけない弱い人々が移住を決意したのでしょう。
その人たち、十中八九死んだはずです。
移住したにもかかわらず、僥倖に恵まれ、生き残った人たちの末裔が、私たちですか。
2013年01月18日
則天去私
「則天去私」、もちろん夏目漱石の言葉である。
この言葉を知った高校生の私は、死に望んでの覚悟の言葉であると思った。
うろたえることなく、心静かに死んで行きたい、そんな思いの詰まった言葉に見えた。
こんな言葉を生前発していて、本当に死に望んだとき、うろたえてしまったら、漱石先生恥ずかしくないのかと思った。
おそらく、自分が死を賭して何かをしなければならなくなったとき、勇気を持って出来るのであろうかと、自問自答していたころだったのでしょう。
どう考えても、そのような勇気はなく、うろたえる自分しか想像できませんでした。
そしてそれを大変恥ずかしいことと捉えていました。
60数歳になった今、捉え方が変わっています。
若者のころの死に対する恐怖心は薄れてきました。
おそらく感覚が鈍磨したのです。
死は、それほど遠くにあるのではなく、身近なものになってきました。
死に立ち向かうのではなく、そのうちやってくるものとして受け入れるしか仕様のないものと、今は捉えています。
勇気を持った死であっても、うろたえた死であっても、どちらでも変わりはありません。まあ、せいぜい見た目が悪いかどうかの違いです。
ここから「則天去私」を観ると、ああこれは「死」のための言葉ではなく、「生きる」ための言葉なんだと思えてきたのです。
「死」を意識する時の恐怖感は計り知れないが、自分がどうこうするなどと思うことなく、「天」の命じるままに死を受け入れ、心静かに生きて行こう、そんな言葉に思えます。
漱石先生、この言葉を持った時、長年捉えられてきた束縛から、解放されたのではないかと想像しています。
生きるために作り出された言葉に思えるのです。
まあ、専門家に言わせれば、間違っているのかもしれませんが、今の私はそんな風に考えています。
2013年01月07日
綺麗
私の作るものは綺麗である。
自慢しているのではない。その逆だ。
綺麗を追求しても、芸術的美に近づくわけではない。
綺麗さなど、最もわかりやすく、審美眼とは関係ないものだ。
私は、日本人が綺麗を追求する時代は、文化的(芸術的)衰退が起こっているときであると思っている。
作者が力強い創造力を失ったとき、安易な綺麗さに走るのである。
芸術は、作者のやむにやまれぬ自己表現を追及するものであるはずだ。
なのに、隅々まで綺麗さを追求することに全精力を傾け、その中に耽溺し、満足している日本人を見ていると、つらい気分になる。
私自身がそうだから、馬鹿な自分を見ている気分になるのである。
この前のブログに掲載した写真のオイルコン用台座は、私の基準では研磨しすぎた失敗作である。
こういうものは、どうしてもやり直したいと思ってしまうのである。
馬鹿である。
オーディオは、音を追求するものである。
台座など、ある程度の綺麗さがあれば充分である。
お客さんは、私ほどには、うるさくはないはずだ。
だから自分に規制をかけている。塗装は、三度以上はやらない。
そうしないと、何度でも際限なくやり直してしまうのである。
私には、綺麗さに対する自己批判がある。そちらに流れてしまう自分を、どうにか押しとどめている。
綺麗さを追い求めるようになったら、私の衰弱の兆候である。
綺麗でないものは、値引きして売っている。
音さえよければ、少々汚くても、安上がりだし、音のよくない綺麗な名機なんかよりずっとよいはずだ。
私のアンプは、中身が違うのだ。
日本人が、中身が大事だと言わなくなったのは、いつからだろうか。
今は、外見を重視する時代ですね。国民全員ナルシスト宣言でも出しますか。
音のよくない綺麗な名機を持って悦に入っている人たちは、本当によい音など、聴いたことが無いのではないかと思ってしまう今日この頃である。
2013年01月03日
触感

電解コンデンサをオイルコンで置き換えるための台座を作っていたときに感じたことを書きます。
台座を組み、塗装をする際に感じたことです。
塗装の前にサンドペーパーを使い、木の表面を滑らかにします。
木の表面を指でなぞって滑らかになっているかを確かめます。
砥の粉を塗り、サンドペーパーで磨きます。
再び木の表面を指でなぞって、滑らかになっていることを確かめます。
塗料を塗ります。
一度目は、細かいサンドペーパーで磨き、表面を指でなぞって、滑らかになっていることを確かめます。
2度目、3度目は、水ペーパーで磨き表面を滑らかにします。
当然その都度指でなぞって、表面の滑らかさを確かめます。
最後に、コンパウンドで磨き、塗装面をつるつるにします。
やはり、最後に指でなぞって、表面の滑らかさを確認します。
私は指でなぞることは、表面の平滑性を確認するだけのために行っていると思っておりました。
あるとき、それだけではないのではないかと思ったのです。
平滑性を確認するためだけにしては、毎回性懲りも無く何度も表面をなでているのです。
なんだ、そうかと思いました。
気持ちいいんです。滑らかになった表面に触れることが。
人間の感覚は、ある場面において、人を気持ちよくさせる機能を持っています。
味覚(おいしい)、視覚(きれい)、聴覚(いい音)、嗅覚(いい匂い)は良くわかります。
触覚もそんな機能があって当然ですね。
多分、人は気づかずに指でなでているのです。
昔、私が小さな頃、大工さんが、道に台を置いて、カンナで木を削っているのを良く見ました。
削るといっても、仕上げカンナで削った表面は、サンドペーパーで磨いたものより滑らかだったと思います。
大工さん、一度削るごとに、指でなぞっていました。
平滑性の確認のためだろうと思っていました。
今はそれだけではないと思っています。
滑らかになった木肌に触れることが気持ちよかったから、指でなぞっていたということもあったのでないかと思います。
私がそうでしたから。
私が作業をする際、どんなに手に傷が付いても、軍手をする気にならないのは、いつも素手で物に触れていたいと思っていたからなのかもしれません。
意図して軍手をしなかったわけではありませんが、心のどこかで、そんな思いがあったはずです。