2012年09月

2012年09月26日

Ortofon SPU-GT

 
久しぶりにYouTubeにアップしました。
 
オークションでOrtofon SPU-GTを載せた時の試聴用です。
 
レコードは、お客様からいただきました。
 
Stereo20をサービスで手直しした際のお返しです。
 
Bachをハープシコードでどうぞ。
 
 
機器の構成は、

Garrard301, Ortofon SPU-GT, Leak VarislopeⅢ x2,
Leak Stereo20, Goodmans 12" x2

です。
 
レコードは小池レコードから購入されたそうです。


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2012年09月20日

美人は3日で飽きる

 
先日、綺麗なLeak Stereo20をお客様が持っていかれた。
 
あばたのあるStereo20と交換したのである。
 
話は、3ヶ月ほど前にさかのぼる。
 
こうである。
 
 
 
GTKaudioのYouTubeで音を聴かれたお客様から電話があり、店に聴きにこられた。
 
一通り聴かれた後、Stereo20とVarislope Stereoをご購入いただいた。
 
ただ、Stereo20の見た目がだいぶ悪いことが気にかかったらしく、もっと綺麗なのはないのかと仰る。
 
うん?なかなかわがままである。
 
私は綺麗なものから先に売ってしまうので、残念ながら無い。
 
 
 
説得にかかる。
 
先人の金言を使おう。
 
「綺麗なものを欲しがるのは、日本人の悪い癖です。最初は気になっても、時間が経つと気にならなくなるものです。」
 
「美人は3日で飽きる。ブスは3日で慣れる。 って言うでしょう」
 
お客さん、にやっとして。
 
「いや、私は慣れなかった」
 
 
 
うーん、なかなか手ごわい。
 
 
 
仕方が無い、綺麗なのが手に入ったら、交換するということで、納得してもらった。
 
お客さん、竹を割ったような性格で、いいのですが、綺麗なものを欲しがるのは困ったものです。
 
 
 
綺麗そうなのを2台購入して、より綺麗なほうを差し上げた。
 
回路がかなり変更してあって、オリジナルに戻してのオーバーホールはちょっと面倒でしたけど。
 
 
 
性格(音)さえよければ、醜女(しこめ 汚いLeak)もいいもんなんですが。
 
あばたもえくぼですよ。
 
 つまらない音を出している美人がたくさんいるじゃないですか。
 
 


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2012年09月11日

熟練

 
知り合いの印刷屋さんと話をしていた。

刷り専門に、一人で仕事をしている。

他にはできない難しい仕事を頼まれることが多いと以前聞いたことがある。長い経験に裏打ちされた技術を持っているのだろう。

印刷機は常に回っているし、紙の搬入業者もよく来ているから、景気が悪そうな感じはしない。



「この不況に、よく仕事が途切れずにありますね」

「そうでもないんだ。このごろは印刷機が遊んでいることもあるからね」

「新しい機械は、色を読み取ってどんなインクをどれだけ混ぜたらいいかまで教えてくれるというから、誰でもできちゃうんだ」と続けた。

「でも、難しい仕事が来るでしょう」

「くるけど、去年までは難しければ上乗せしてくれたけど、今年はそれもなくなったんだ」

おそらく、易しい仕事はもっと安くなってしまっているのだろう。



そうか、ここでも同じことがおきているのだ。

長年積み上げてきた経験や技術を必要としない時代が来てしまった。

以前は、易しい仕事もこの印刷屋さんに来ていた。

易しいといっても、経験や技術は必要だったのだ。

今は、経験や技術はいらない。操作さえ覚えれば、易しい仕事は誰にでもできるのである。



この状況を何がもたらしたか。

私は、安価になったコンピューターとその周辺機器にあると思っている。

機械にコンピューターを組み込むことで、圧倒的な省力化が起こっているのである。

省力化とは、今まで必要とした経験と技術を持った労働力を用のないものにしてしまう。

素人が操作の手順を覚えれば、易しい仕事なら見劣りしない仕事ができてしまうのである。

パートで雇った素人に、手順さえ覚えさせれば、かつては熟練した人を必要とした仕事もできてしまうのである。

機械の操作だけではできない微妙な仕事や、芸術的センスを要求する個性的な仕事を除いて、一般的な仕事は素人で事足りる時代が来てしまったのである。

非正規の労働者を企業が必要としたのは、高価な労働力の熟練した人たちから安価な労働力の素人へシフトするためであった。

当然賃金は下がる。自動化によって労働力の省力化が行われる。

過剰になった労働力は切り捨てられ、失業者の増加につながる。



友人は看板を製作している。

かつて遊びに行くと、工作機械を操り、私には神業と思えるような作業をしていた。

この分野では、確実丁寧な仕事で定評があった。

今はパソコンの前に座り、設計図を作る毎日である。

図面さえ作れば、あとは機械が図面通りにシートを印刷しカットしてくれる。



友人はセンスがあるから、コンピュータも使いこなしているけれど、異業種からの参入が激しく、仕事の単価がどんどん低くなっているとのことである。

コンピュータの組み込まれた機械を使い、看板の設置以外は、素人でもできる状況になっているのである。



以上のような状況は、科学技術の進歩に伴って過去にも常に起こっていたことである。

俵2俵を担いで運べる人は、1俵しか担げない人より、江戸時代なら多大な評価を受けたはずである。

今は力持ちという言葉さえ、聞くことは少なくなった。

同様に、手先が器用であるという言葉も人の口にのぼることはまれである。

かつては、器用とは、一生食うに困ることのない才能であったはずなのだが。



人は時代に合致する能力を使って仕事をし、生活してきた。

ただし、時代の変化は今ほど激しくなく、どうにかやり過ごすことが出来たのである。



現代は、その変化の波はかつて経験したこともないほど激しく、熟練があっという間に意味を持たないものになっている。

コンピューターのかかわる分野は、限定的なものではなく、ほとんどすべての分野である。

ほとんどすべての分野で、上記のような変化が起こっているのである。

私にはわからないけれど、事務系分野ではもっと激しいのではないかと思われる。

あまりに変化が圧倒的過ぎる。



この不況、長く続くのではないか。

小手先でどうにかなるようなものではない。



gtkaudio at 20:11|PermalinkComments(0)欧米人