2012年06月
2012年06月23日
女川
ナビで女川を目指していました。
整地の作業をしているのを左に見て、狭い道に入っていきました。
その道が女川に向かう広い道路に通じているものと思っていたのです。
行き止まりになってしまいました。
この道ではなく、他の道を通って女川を目指さなければならないと、Uターンしたときです。
ナビが「目的地付近です」と言っている。
あれ?、女川の中心部と設定したはずだけど、設定を間違ったか。
友人に、「変だな、ここが女川のはずはないけど」と話しかけると、彼から「ここが女川の中心部なんだよ」と返事がかえってきた。
「え?」、そんなこと思いもしなかった。この道を通って、女川に向かうつもりでいた。
彼の指差すナビが、女川であることを示している。
ああ、女川に着いていたのか。
建物がまったく無い。
昔の記憶の中にある女川は、跡形もなくなっていた。
繁華な町ではなかったけれど、漁師町のあの静かな昼下がりの雰囲気は覚えている。
少なからずショックを受けた。
確かにこれは行ってみないとわからない。
石巻の宿に着いて、その夜、女川に行くことを勧めてくれた友人から電話があった。
女川の町が何もなくなっていたけど、住めなくなった家を壊したからかと、訊ねてみた。
「違うんだ、津波が全部さらって行ったんだ。それを見てほしかったんだよ」と返ってきた。
そうか、報道ではわからない。
1年以上経過した今でさえ、この状態か。
電話をくれた友人に、旅から帰って後メールを送りましたら、返事が返ってきました。
実情が良くわかると思いますので、転載します。
その中に、「今は各部落の存続がかかっている状況です」とありますが、行って見ると、現実であると、実感できます。
以下友人からのメール。
その気持ちを知ってほしかったのです。
雄勝方面へかけてはもっと悲惨です。
新北上川(追波川)沿い、南三陸町(旧志津川)もひどいです。
今は各部落の存続がかかっている状況です。
1年経って、いずれに転ぶか決断が迫られる状況が続いているのです。
これは石巻市内も同じです。人口は10%既に減少したともいわれています。
住んでいることができないのです。何もないから。
若者は仙台の大学に通えない。(電車がない)
仙台方面へ通勤できない。
医者が被災したため、医療が受けられない。
仮設に暮らしていても、足がない。街に出られない。
入れ歯を治せない(うちの母)
復興需要のある2~3年は良いが、それ以降の経済が不安(うちの弟)
石巻を含め、津波の被害にあった地域は、その恩恵も、災厄も結局は海から来る。
つまり、そこに住み続けるには水産業などの海に依存するしかないのだと思います。
水産業の一日も早い復興を祈ります。
2012年06月22日
石巻
6月16,17日の2日間、宮城の石巻に行ってきました。
震災津波の被害をこの目で見ておきたい気持ちは前からありましたが、ボランティアをするでもなく、ただ見に行くことに、ためらいがありました。
被災した人たちからすると、見物人なんて嫌だろうと思っていたのです。
被災地の実情は、報道だけではわからない、それはひどいものだと、現地に足を運んだ人たちから、何度か聞かされました。
被災地の人たちが一番恐れていることは、忘れ去られることであり、かえって現実を見てほしいと思っていると知り、行って見る気になりました。
高校時代の友人を誘いました。
彼も同じことを考えていたらしく、「俺も行くつもりだったんだ。行くことが具体化したら、お前を誘おうと思っていた」と言ってくれました。
彼が旅行の際にいつもお世話になっている旅行会社の人がいて、有能で親切だから、その人に頼むとのことでした。
その人から送られてきたメールを私にも転送してくれました。
そのメールを見ただけで、彼が言っていることが本当であるとわかりました。
明快で過不足のない文章、必要事項が網羅されている。それでいて、やさしさの伝わってくる文章でした。この人に任せておけば、安心です。
大学時代の友人の奥さんは、宮城の石巻出身です。
友人も、震災以降、奥さんとともに何度か石巻を訪れて、状況は良くわかっています。
彼に予定を話すと、ぜひ女川に行くようにと勧められました。
40年ほど前、女川原発反対闘争で、彼とともに何度か訪れたことがあります。
細かいことは覚えていませんが、当時は静かな漁港でした。
新幹線、6月16日早朝の出発。
仙台で、レンタカーを借り、石巻に。
想像はしていたけれど、1年以上が過ぎた今でもひどい状況です。
コンクリートの土台を残して、建物がすべてなくなっている地域もあります。
見ているだけで、つらい気分になってしまいます。
一緒に行った友人が、かつてお世話になった人の消息をたずねようとしています。
住所を頼りに探し当てました。家は残っています。
この地域は、残っている家もあれば、土台しかないところもあるという入り混じった状態でした。
残った家にも住んでいる人はほとんどいません。
表札で確かめて、確かにその人の家だったのですが、その家も空き家になっていました。
ほとんど水につかって、住めなくなってしまったのでしょう。
消息を聞こうにも、人がいません。
周りの家も、人が住んでいるようには思えません。
友人は近くを歩き回っています。
「あ、犬がいる」と友人。正面からはわからなかったのですが、ぐるっと回った隣の家に、人が住んでいるようです。
おばあさんがいらっしゃいました。
友人が探しているご家族の消息をおしえて貰いました。
皆さんご無事だとのことで、友人も安心したようです。
ただし、今の住所は詳しくはわからないとのことでした。
次は、女川に向かいます。
2012年06月09日
YouTubeの統計
YouTubeにアップロードしますと、統計を見ることが出来ます。
ちょっと面白い結果が出ていますので、書いてみます。
外国でどのくらいの人たちが見てくれているかはわかりませんが、世界地図上に、見てくれた人の国が表示されます。
今まで私がアップロードした中で、最も多くの国々で見られたのは、岸洋子の「糸車」です。
アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ロシアに印がついています。
「この動画の人気が高いユーザー層」を見るのも興味深い。
私のアップしたものは、圧倒的に50歳以上の男性に見ていただいていることが多いのですが、時々何でと思うような年齢の人が見てくださることがあります。
55-64の男性が1番目ですが、2番目に18-24歳の女性が来て、3番めが45-54の男性になっています。
次は、男性55-64、男性35-44、女性18-24の順になっています。
どのような関連かはわかりません。
すみません、もっと多くの国々で見られている動画がありました。
平原綾香の「蘇州夜曲」です。
アメリカ、カナダ、イギリス、スペイン、ポルトガル、イタリア、トルコ、ロシア、オーストラリアです。地図が小さいので、他にもあるか知れませんが、今読み取れるのはこれだけです。
日本の歌謡曲は、外国人にとって、新鮮に感じるのかもしれません。
よく見られている国名も上位5カ国だけですが、アナリティクスの情報に出ていました。
香港が3番目、マレーシアが5番目に良く見られているのだそうです。
地図上では、まったくわかりません。