2012年02月
2012年02月28日
小旅行 西浦田楽 寒い
あのー、寒いんですけど。
奴が言っていたように寒かった。
足先が冷える。
羽毛上着のポケットに入れていた2個の使い捨てカイロを、ズボンのポケットに入れ替える。
流れる血液を温めたら、足先の寒さも和らぐかもしれないと思った。
少しは効果があった。
2時過ぎにあった休憩中に、さらに2個友人にもらい、しりのポケットにも入れた。
これでほとんど気にならなくなった。
使い捨てカイロ、効くもんですね。
寒いから、3ヶ所ある焚き火のどこかに、必ずいた。
奴はカメラ片手に、いいアングルを求めて飛び回っている。
まさしく、動いたっきり老人候補、面目躍如だ。
この歳になってはじめて、気づいたことがある。
焚き火の魅力である。
火というものがこのように人を魅了するものとは知らなかった。
じっと燃える火を見ている。飽きない。
見入っているうちに、気づくと1時間が過ぎているなんてこともあった。
焚き火を管理している消防団の人に、話しかけてしまった。
「火というものは、人を魅惑するものですね、長い時間じっと見つめていても飽きません」
「そうなんですよ」と短く応えてくれた。
このことがわかっただけでも、旅行した甲斐がある。
火は、人間のどこか奥深いところにしみ入り、ギュッと掴んで離さない。
古くは洞穴で、近くは囲炉裏のそばで、うずくまるようにして火に見入っている人々の姿が、目に浮かぶ。
焚き火もできない都会の生活は、つまらないものだと思った。

君の舞

しずめ
夜明けである。西浦田楽も終わろうとしている。神仏を送る儀式に入った。

獅子舞
演目は、火の王、水の王で終わりとなる。
火と水、ともに心揺さぶるものだ。
そうか、昔から、わかっていたことなのだ。
2012年02月26日
小旅行 西浦田楽 その2
田楽というからには、水田があるはずですが、あまり見かけませんでした。
ここからは推測です。
細かく見たわけでもなく、専門家でもありませんので、間違っているかもしれません。
その昔、水田にとっての適地は、平野ではなく、細い川の流れる谷あいであった。
この田楽は1300年の伝統があるそうです。
1300年前、ここらあたりには谷あいに作られた棚田があったのかもしれません。
私たちは、水田といえば平らな土地に稲穂がなびく風景を想像します。
この当時、平野部に水田はなかったのだそうです。
水田に絶好な土地は、谷あいだったということなのです。
平野に田を作るには、大規模な灌漑を行わなくてはならず、それができるようになるのは、灌漑技術の発達した鎌倉幕府ができる少し前の時代です。
谷あいに棚田を作るほうが、農業土木の面からは、簡単であったそうです。
上流から流れてくる水を棚田に引き込むことで、平地に比べればずっと楽に稲を育てることができたと本で読んだことがあります。
平地に水田を作りつくして、さらに土地を求めて棚田ができたのではなく、初めに棚田があって、農業土木の進化とともに、平地に水田が移っていったのだそうです。
そう考えると、この地区には、千枚田のような棚田が並び、他の地区に比べて良く稲が育ち、より多くの米が取れたのかもしれません。
江戸時代、商品経済の発達とともに、林業に生活の基盤を移し、棚田は消えて行ったのではないかと思われます。
まあ、浅はかな素人考えですが。

舟渡し。
観音堂から渡された綱を伝い、火を持った舟が大きな松明まで運ばれ、オリンピックの聖火のようにその大松明に点火される。

大松明。
下にいる人々と比べれば、この松明の大きさがわかります。

仏の舞。
観音堂から出てゆく。

仏の舞。
仏の舞は、ただ練り歩くだけだが、厳かである。友人はこれが一番いいといっていた。
2012年02月24日
小旅行 西浦田楽
この田楽は、神仏に奉納することがその趣旨であり、我々はそれを脇から見させてもらっているのだと感じた。
だから、我々の都合に合わせて行われることは一切ない。
我々はあくまで、見せていただくという態度で終始しなければならない。
観光地ずれなどというものとは無縁である。
とはいいながらも、土地の人たちは、私たちに対しても、丁寧な態度で接してくれる。
その按配がすばらしい。

演目
演目は、演者の控えの建物の中に掲げてある。何が演じられているのかを確認するために、時々外から見させてもらう。

地固め。
友人によると、使われている槍は、本物だそうだ。

高足もどき
もどきと付くと、一段下のように思われるかもしれませんが、演者はこちらのほうがうまく、高足に乗って、ホッピングのように飛び跳ねます。
友人が高足もどきの動画をyoutubeにアップしていますので、見てください。
2012年02月22日
小旅行 西浦田楽へ
友人は会議があるとかで、まだ帰ってはいなかった。
しばらく奥さんと話していた。
久しぶりである。この前ここを訪ねて以来だから、20年ぶりぐらいだろうか。
奥さんあまり変わっていない。若々しい。
そのうち友人が帰ってきた。
動いたっきり老人候補者だ。
その話になった。
「俺が動くのをやめるときは死ぬときだ」と友人。
なるほど、人にはそれぞれ役割というものがある。
俺が急に動き始めたら、死ぬ時だなと納得する。
食事をご馳走になり、車で買出しに出かけた。
馬鹿でかいスーパーである。
翌日帰ってからの夕食用の肉や夜中につまむものなどを買う。
雑貨を扱うスーパーで、使い捨てカイロを購入。
夜通しだから、寒さ対策に神経を使っているようだ。
靴下を二枚履けという。二枚なんて、初めてのことだ。
「今夜は危ない。二枚でどうだ」なんて歌詞を思い出す。
一枚貸してくれた。
自分のに重ねてはく。
帽子をかぶれという。
こちらは一枚でも妊娠の心配はないらしい。
子供のときの野球帽以来のことだ。
頭が寒いなど、経験したことがないので、いらないのではと思うが、何しろかぶれと渡された。
よほど寒いのだ。
7時をだいぶ回ったころ出発。
車で2時間の道のりだそうだ。
9時ごろから始まるとのことで、できれば始めから見たいらしい。
友人は、雪と路面の凍結を恐れていたが、ほとんどなかった。
順調に行って、9時ごろ着いた。2時間はかからなかった。
廃校になった小学校の校庭に駐車する。
すでに何台か駐車している。

階段を登りきったところですべての演目は行われる。
真っ暗な坂を、奴の懐中電灯を頼りに、ぜいぜいいいながら登ってゆく。
まさしく運動不足。
さすが動いたっきり老人候補、奴は平気だ。
心臓が悪いのではないかと、いやなことを言いやがる。
最後の長い階段、さすがにつらい。
田楽の行われる広場に着いて、まもなくのことであった。
たいまつをかざした人々が、階段を登ってきた。さあ、始まった。
月の出が、始まりのときである。
神仏は月とともにある。

すべての写真は友人が撮ったものです。
2012年02月20日
小旅行 浜松から友人宅へ
もうすぐ浜松である。
新幹線は、注意していないと、知らないうちに着き、知らないうちに発車している。
だから早いうちに扉の近くに行っておく。
皆さん余裕なのか、誰もいない。
本当に近くになって、一人二人と増えてきた。
着いた。
降りる。
どちらに行ったものやら。
人の流れのままに行く。
改札を無事通過。
案内板を頼りに、遠州鉄道に向かう。
しかしきれいな駅だ。
昔来たときに感じた地方都市の駅の雰囲気は微塵もない。
新幹線の駅を出て、左に曲がり、遠州鉄道の駅に向かう。
人の流れが二手に分かれる。
どうしよう。
7割は外れる動物的勘に従い、広いほうの道を行ったように思うが、今は定かではない。
とにかく今回は当たった。
左手に遠州鉄道の駅がある。
買った切符を手に持ち、改札の前で立ち止まる。どうしようと悩んでいたら、駅員さんに、「どうぞ」といわれた。
ああ、チョッキンは無しなのだ。
以前来たときは、小さいころ一番好きだった元祖流線型の湘南電車の顔に似た電車だったけれど、今は大変スマートな最新式に変わっていた。
八幡、助信、曳馬、等の由緒を感じさせる駅名が並ぶ。
目的地は、美薗中央公園駅である。
30分かからず到着。
プリントしていた地図を頼りに友人宅に向かう。
すぐわかった。
ついたはいいわ、敷地に3棟建っている。
どこに行こうかと、うろうろする。
しばらくすると声がかかった。
救われた、友人の奥さんの声だ。
玄関の位置を教えてもらって、友人宅に無事着いた。
後から聞いたら、奥さん隣の人に、不審者がうろうろしていると、教えられたそうである。
うん、隣人正しい。
不審者として、私はうってつけである。
友人の住所には、貴布祢とある。
なんだかこれも由緒ありげな感じがする。