2009年11月

2009年11月22日

クッキングシート

私、慣れない家事を行っております。

どうしても、女性が先生になります。

煮物について教わり、早速やってみたのですが、母は見るなり、「いらない」と言いました。

当然、「一口食べてみてから言え」、と思いました。



考えてみると、母が元気だった頃、私も同じことをしていたのです。

煮物が出てくると、即、「いらない」と言っていました。

母は、意図的に敵をとったわけではないようです。

私、煮物とかは好きでありません。

母も好きではないのです。

共に、我がままなのです。



母は、90歳を超えているのに、油っぽいものが好きです。

胆石があるので、油をひかえて、料理を作ります。

私が、「この料理は油があるから駄目だな」と言いましたら、母は答えて曰く、

「その油が食べたいのよ」

何とも我がままです。



先日、介護仲間の女性から、魚の焼き方を教わりました。

クッキングシートを使う面白い方法です。

フライパンに、クッキングシートを敷いて、その上に魚を置き、中火で10分ほど焼きます。

裏返して2,3分すると出来上がりです。

油は使いません。

クッキングシートが燃えそうに思えますが、こげる程度で、燃えません。



レンジで焼くより、これが旨いのです。

大根すりと醤油で、食えば絶品です。



本当に簡単ですから、やってみてください。

クッキングペーパーでは駄目です。

厚手のパラフィン紙のようなクッキングシートでなければなりません。

旨いです。

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2009年11月08日

幼年期の記憶

いままで、5歳までの幼年期の記憶を書いてきて、ちょっと意外な感じを持っています。

ふとしたことから、あるいは眠れぬ夜に、思い出される幼い日の記憶は、私にとって懐かしく明るいそして心休まるものとしてあったはずです。

自分自身そう思っておりました。

しかし、今回書いてきたものを読み返すと、思っていたものとはまったく異なっていました。

暗いのです。

これが幼さというものでしょうか。



幼児というものの通例なのか、または私の個人的な臆病のせいなのか、外部からの刺激に対して、常に恐怖を感じているように思われます。

記憶をたどっていた時には、まったく感じていなかったことです。

途中から、こんなこと書いてどうすると思い始めました。

事実、まだ覚えていることはあるのですが、どれをとっても、明るいものではありません。

もう書くのはやめました。




中学、高校時代、そと見はどうであれ、自分を暗い人間と思っておりました。

人間の暗さはこの頃から始まるとばかり思っていました。

幼児の暗さもあるのですね。




中学高校の年になると、知識も論理もある程度身につきます。

他者のいい加減さを見分ける目も出来てきます。

幼児とは違って、乗り越えるすべがあったのです。

幼児は、鎧を身に着けることもなく戦場に追いやられた兵士のようです。




幼児は全てを感じているだけです。

原因がどこから来るかを追求する能力はありません。




どうも、幼児の頃の記憶は、世間が自分を喜んで迎えてくれているという実感が持てずに、常におびえていたことを示しているように思えます。

その原因がすべて自分にあると思っていたようです。

幼いときは、無邪気でいられるなどということは大人たちが勝手に作り上げた幻想なのかもしれません。




誰かが書いていたように、

まさに、

「病むべくして生まれながら、健やかにと命ぜられて」

ですね。

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