2009年03月
2009年03月30日
研究室
私が卒論を仕上げる研究室が決まりました。
飛ばされました。
私は理学部ですが、工学部でやることになります。
教授もなかなかうまいことをやる。
教授の教え子が、工学部の助教授になっているのです。
そこに押し付けたようです。
理学部の私の担当教官は、一番年の若い助手です。
助手といっても、当時の位階制では、助手、助教授、教授ですから悪いものではありません。
30歳前で助手ですから、優秀な人です。
若いうちは、苦労は買ってでもしろ、と云いますから、私の担当になったのでしょう。
この苦労が、助手の将来にとって大いに役立つはずです。
まあ、人間は良い人ですから、私にとって楽です。
工学部で、私の指導は、大学院の修士課程に在籍している人があたります。
この人がまた優しい。優秀である。
ラッキーとしか言いようがありません。
頭はこの人のを借りることにしました。
肉体労働だけで、卒論は完成します。
関係論文も読みましたが、もとい、眺めましたが、まあ分かりません。
とっつきは悪いほうです。
じわーと、分かってくるまで待ちます。
分からなくても、肉体労働という逃げ道があります。
肉体労働、見た目は一生懸命ですから、最善の方法です。
飛ばされました。
私は理学部ですが、工学部でやることになります。
教授もなかなかうまいことをやる。
教授の教え子が、工学部の助教授になっているのです。
そこに押し付けたようです。
理学部の私の担当教官は、一番年の若い助手です。
助手といっても、当時の位階制では、助手、助教授、教授ですから悪いものではありません。
30歳前で助手ですから、優秀な人です。
若いうちは、苦労は買ってでもしろ、と云いますから、私の担当になったのでしょう。
この苦労が、助手の将来にとって大いに役立つはずです。
まあ、人間は良い人ですから、私にとって楽です。
工学部で、私の指導は、大学院の修士課程に在籍している人があたります。
この人がまた優しい。優秀である。
ラッキーとしか言いようがありません。
頭はこの人のを借りることにしました。
肉体労働だけで、卒論は完成します。
関係論文も読みましたが、もとい、眺めましたが、まあ分かりません。
とっつきは悪いほうです。
じわーと、分かってくるまで待ちます。
分からなくても、肉体労働という逃げ道があります。
肉体労働、見た目は一生懸命ですから、最善の方法です。
2009年03月26日
研究室の決定
大学4年になっていました。
3年から専門が始まり、最初の何回かは授業に出ましたが、どうも体に合わないらしく、出席した日は疲れがひどくなります。
体のことを考えて、自主休講ということにしました。
ほとんど1年間授業には出ていませんでした。
ある日、学生同士で決めたいことがあるとのことで、出席するようにと友人から連絡が入りました。
学科の学生控え室に行ってみました。
学科にある4つの研究室のどこに所属するかを、学生が決めるのだそうです。
異様なことに、私以外の学生たちは、行きたい研究室があるようなのです。
私には、意思がありません。どんな研究室があるかも知りません。
パチンコ球のように、弾かれ弾かれ、最後に空いた穴にぽとりと落ちればよいのです。
「あんたらで決めて、残った所へ俺は入る」と云って、他の学生が決めるのを待っていました。
それにしても、学生が決めるというのは良かったとしか言いようがありません。
教授たちに決めさせたら、私はドッジボールのボール状態になっているところでした。
ボールが飛んでくると教授たちはよけます。
受け取ったとしても、すぐに他の教授にぶつけようとします。
私は永遠に受け入れてもらえない。
学生が決めるのですから、どこかには受け入れてもらえるということです。
私には、意思はないのです。どこでもいい。
さて決まったようです。
ということは、私の研究室も決まったことになります。
同じ研究室に入る学生は、4人で、もと山岳部部長の友人もいます。
学科唯一の女子学生も同僚になりました。
この研究室で卒論を仕上げることになります。
卒論はちゃんとやろうと思っていました。
方針は決まっています。
私は肉体労働に終始するつもりです。
私の頭はあまり使いものになりませし、使う気にもなりません。
周りに優秀な頭がごろごろしていますから、それを使います。
なに、ちょっと笑わせてあげれば、どんどん貸してくれるはずです。
3年から専門が始まり、最初の何回かは授業に出ましたが、どうも体に合わないらしく、出席した日は疲れがひどくなります。
体のことを考えて、自主休講ということにしました。
ほとんど1年間授業には出ていませんでした。
ある日、学生同士で決めたいことがあるとのことで、出席するようにと友人から連絡が入りました。
学科の学生控え室に行ってみました。
学科にある4つの研究室のどこに所属するかを、学生が決めるのだそうです。
異様なことに、私以外の学生たちは、行きたい研究室があるようなのです。
私には、意思がありません。どんな研究室があるかも知りません。
パチンコ球のように、弾かれ弾かれ、最後に空いた穴にぽとりと落ちればよいのです。
「あんたらで決めて、残った所へ俺は入る」と云って、他の学生が決めるのを待っていました。
それにしても、学生が決めるというのは良かったとしか言いようがありません。
教授たちに決めさせたら、私はドッジボールのボール状態になっているところでした。
ボールが飛んでくると教授たちはよけます。
受け取ったとしても、すぐに他の教授にぶつけようとします。
私は永遠に受け入れてもらえない。
学生が決めるのですから、どこかには受け入れてもらえるということです。
私には、意思はないのです。どこでもいい。
さて決まったようです。
ということは、私の研究室も決まったことになります。
同じ研究室に入る学生は、4人で、もと山岳部部長の友人もいます。
学科唯一の女子学生も同僚になりました。
この研究室で卒論を仕上げることになります。
卒論はちゃんとやろうと思っていました。
方針は決まっています。
私は肉体労働に終始するつもりです。
私の頭はあまり使いものになりませし、使う気にもなりません。
周りに優秀な頭がごろごろしていますから、それを使います。
なに、ちょっと笑わせてあげれば、どんどん貸してくれるはずです。
2009年03月23日
追試
大学4年のときである。
追試を受けることになった。
3年で学んだ科目のテストが行われた。
テストを実施するのは、3科目だけだった。
授業は出ていなかったので、ノートを借りてきた。
日頃、笑いという蜜を与えているので、みんな喜んで貸してくれた。
さて、ノートを見て驚いた。
さっぱり分からないのである。
日本語と思えない。無理。
それで決めた。試験は受けない。
3科目中2科目が追試になった。
大学教授とはむごいものである。
こちらは白旗を揚げて、戦闘意欲を示していないのである。
降参している敵に向かい、まだ弾を撃ってくる。
こちらは、もう弾が尽き果てているのにである。
喜ばしいことに、受けていないものがもう一人いた。
一番仲の良い山岳部の部長をしていた友人である。
うれしくなった。
友人の家に行って見た。
楽しく語り合いたかったのである。
様子が違った。
パジャマの上にちゃんちゃんこを着て、鼻水をすすっている。落ち込んでいる。
体調が悪いというか、試験を受けなかったことがよほどショックだったらしい。
奴は一言言った。
「彼女に、この姿見せたくないよな」
奴の心の中には、彼女はもう第三者の目として、入り込んでいるんだ。
よほど好きなのだろう。
以前、奴と彼女が付き合い始めた頃、彼女に電話をするんだが何を話したらよいかと相談を受けた。
「いいか、女というものはロマンチックな言葉が大好きなんだ」
「適当な星を決めて、あれは僕たちの星だよ、って言えばいいんだ」
電話をかけた。結局云わなかった。
<何だこいつ常識あるんじゃん、つまんねー>
あんなことはもうやっちゃあいけないのだ。
さて追試である。
私には、もう撃つべき弾はないのである。
仕方がないので、弾雨の中、体を投げ出すつもりで、追試を受けに行った。
学科のみんなが待っていた。
私に、対策を授けるのである。
「同じ問題が出るから、覚えろ」という。
馬鹿な。そんなに甘いもんじゃないだろう。
さらにカンニングの仕方を教えてくれるのである。
「大事なことは机に書いて試験用紙で隠せ」等、うるさいことを言う。
私はあっけにとられた。カンニングなどというものをやったことがないのである。
こいつらまじめな振りして、なかなかしたたかだ。
それに、このうれしそうな様子はなんだろう。
まあ、分かるけどね。
私には、もう弾がないのである。
いろいろ教えてくれたにもかかわらず、無視した。
ただ残念だったのは、同じ問題が出たことである。
先ほど見た答えの残像が残っているものだけ書いたが、ほとんど白紙に近い状態で提出した。
追試の始まる前に、「試験だけは受けれよな」と云っていた教授だけは合格にしてくれた。
もう一人の助教授は、追追試になった。
もちろん友人は合格した。
さて追追試である。
今度は答えを覚えて行った。
助教授の部屋でテストをした。
お茶を出してくれ、「これで駄目だったら、レポートにしような」といわれた。
心に沁みるいい言葉だ。
ようやく私というものを理解してくれた。
ちょっと遅いけど、まあいい。
もちろん、同じ問題だったので、覚えたことを書いて合格した。
駄目学生の大学最後の試験でした。
追試を受けることになった。
3年で学んだ科目のテストが行われた。
テストを実施するのは、3科目だけだった。
授業は出ていなかったので、ノートを借りてきた。
日頃、笑いという蜜を与えているので、みんな喜んで貸してくれた。
さて、ノートを見て驚いた。
さっぱり分からないのである。
日本語と思えない。無理。
それで決めた。試験は受けない。
3科目中2科目が追試になった。
大学教授とはむごいものである。
こちらは白旗を揚げて、戦闘意欲を示していないのである。
降参している敵に向かい、まだ弾を撃ってくる。
こちらは、もう弾が尽き果てているのにである。
喜ばしいことに、受けていないものがもう一人いた。
一番仲の良い山岳部の部長をしていた友人である。
うれしくなった。
友人の家に行って見た。
楽しく語り合いたかったのである。
様子が違った。
パジャマの上にちゃんちゃんこを着て、鼻水をすすっている。落ち込んでいる。
体調が悪いというか、試験を受けなかったことがよほどショックだったらしい。
奴は一言言った。
「彼女に、この姿見せたくないよな」
奴の心の中には、彼女はもう第三者の目として、入り込んでいるんだ。
よほど好きなのだろう。
以前、奴と彼女が付き合い始めた頃、彼女に電話をするんだが何を話したらよいかと相談を受けた。
「いいか、女というものはロマンチックな言葉が大好きなんだ」
「適当な星を決めて、あれは僕たちの星だよ、って言えばいいんだ」
電話をかけた。結局云わなかった。
<何だこいつ常識あるんじゃん、つまんねー>
あんなことはもうやっちゃあいけないのだ。
さて追試である。
私には、もう撃つべき弾はないのである。
仕方がないので、弾雨の中、体を投げ出すつもりで、追試を受けに行った。
学科のみんなが待っていた。
私に、対策を授けるのである。
「同じ問題が出るから、覚えろ」という。
馬鹿な。そんなに甘いもんじゃないだろう。
さらにカンニングの仕方を教えてくれるのである。
「大事なことは机に書いて試験用紙で隠せ」等、うるさいことを言う。
私はあっけにとられた。カンニングなどというものをやったことがないのである。
こいつらまじめな振りして、なかなかしたたかだ。
それに、このうれしそうな様子はなんだろう。
まあ、分かるけどね。
私には、もう弾がないのである。
いろいろ教えてくれたにもかかわらず、無視した。
ただ残念だったのは、同じ問題が出たことである。
先ほど見た答えの残像が残っているものだけ書いたが、ほとんど白紙に近い状態で提出した。
追試の始まる前に、「試験だけは受けれよな」と云っていた教授だけは合格にしてくれた。
もう一人の助教授は、追追試になった。
もちろん友人は合格した。
さて追追試である。
今度は答えを覚えて行った。
助教授の部屋でテストをした。
お茶を出してくれ、「これで駄目だったら、レポートにしような」といわれた。
心に沁みるいい言葉だ。
ようやく私というものを理解してくれた。
ちょっと遅いけど、まあいい。
もちろん、同じ問題だったので、覚えたことを書いて合格した。
駄目学生の大学最後の試験でした。
2009年03月07日
合宿 その2
合宿は高校3年生しかやりませんでした。
中学3年生は数も多く、何をやらかすか分かりませんので、合宿につれてくることはありませんでした。
前の合宿とは、違うときの話です。
人数は、男女合わせて5,6人だったと思います。
あ、また目が合った。
私の前に座っている男子生徒が、ニターと笑い、「たらこ」という。
さっきから何度となく繰り返している。
<チクショウ、お前たちのためにこんな「たらこ」になったのに>
話はこうである。
昨晩着いた時は気づきませんでしたが、玄関のあたりに多くのスズメバチが飛んでいるのです。
玄関の上の板壁の節穴に、入ったり出たりしています。
どうも壁の内側に巣を作っているらしい。
出入りを見ていると、半端な数ではありません。
危険です。刺されると、死ぬこともあります。
さて、合宿では、昼間海に行ってリラックスします。
生徒は、スズメバチを避けて、玄関ではなく、窓から外に出しました。
最後に戸締りをしなければなりません。
誰が?
私しかいません。
そーっと、玄関を開け、戸を閉め、鍵をかけると、一目散に駆け出しました。
うまく逃げ切ったと思ったときです。
頭の中に何かいる。
手で触った。
髪の毛(当時まだあった)に絡まるようにして、ハチが一匹うごめいている。
当然、刺された。頭頂部を、である。
これで済めば良かった。
残念、済まなんだ。
もう一匹が、なんと口に攻撃して来た。
口に入った。
刺された。それも、上唇の裏側をである。
刺されたあとがジンジンしている。
私は、常に唇を結んでいるような、しまりのある人間ではないのです。
医者に行った。
休みだった。
仕方ないので、薬屋に行った。
薬屋のおばさん、スズメバチに刺されたといっても、何の同情も示さない。
「放っておけ」、ぐらいの勢いである。
土地の人にとっては、そんなもんかもしれない。
とにかく、塗り薬と、ハチを追い払うスプレーを3本ほど買った。
薬が効いたかどうかはわからない。
頭も、唇もどんどん腫れてきた。
ジンジンする。
頭は他人には分からないが、唇はひどいものである。
まさに、「たらこ」唇になった。
日ごろ静かにもかかわらず、奴はなかなか意地が悪い。
シマッタ、また目が合った。
声もなくニターと笑い、「たらこ」と云いやがる。
<チクショウ、お前らのためにこんなになったのに>
中学3年生は数も多く、何をやらかすか分かりませんので、合宿につれてくることはありませんでした。
前の合宿とは、違うときの話です。
人数は、男女合わせて5,6人だったと思います。
あ、また目が合った。
私の前に座っている男子生徒が、ニターと笑い、「たらこ」という。
さっきから何度となく繰り返している。
<チクショウ、お前たちのためにこんな「たらこ」になったのに>
話はこうである。
昨晩着いた時は気づきませんでしたが、玄関のあたりに多くのスズメバチが飛んでいるのです。
玄関の上の板壁の節穴に、入ったり出たりしています。
どうも壁の内側に巣を作っているらしい。
出入りを見ていると、半端な数ではありません。
危険です。刺されると、死ぬこともあります。
さて、合宿では、昼間海に行ってリラックスします。
生徒は、スズメバチを避けて、玄関ではなく、窓から外に出しました。
最後に戸締りをしなければなりません。
誰が?
私しかいません。
そーっと、玄関を開け、戸を閉め、鍵をかけると、一目散に駆け出しました。
うまく逃げ切ったと思ったときです。
頭の中に何かいる。
手で触った。
髪の毛(当時まだあった)に絡まるようにして、ハチが一匹うごめいている。
当然、刺された。頭頂部を、である。
これで済めば良かった。
残念、済まなんだ。
もう一匹が、なんと口に攻撃して来た。
口に入った。
刺された。それも、上唇の裏側をである。
刺されたあとがジンジンしている。
私は、常に唇を結んでいるような、しまりのある人間ではないのです。
医者に行った。
休みだった。
仕方ないので、薬屋に行った。
薬屋のおばさん、スズメバチに刺されたといっても、何の同情も示さない。
「放っておけ」、ぐらいの勢いである。
土地の人にとっては、そんなもんかもしれない。
とにかく、塗り薬と、ハチを追い払うスプレーを3本ほど買った。
薬が効いたかどうかはわからない。
頭も、唇もどんどん腫れてきた。
ジンジンする。
頭は他人には分からないが、唇はひどいものである。
まさに、「たらこ」唇になった。
日ごろ静かにもかかわらず、奴はなかなか意地が悪い。
シマッタ、また目が合った。
声もなくニターと笑い、「たらこ」と云いやがる。
<チクショウ、お前らのためにこんなになったのに>
2009年03月02日
合宿
塾の頃の話です。
良い気分でマイクロバスを走らせていました。
合宿です。総勢10数人。高校3年の受験生を連れて西伊豆、土肥の近くの合宿所に向かっている。
沼津インターで降りる予定です。
もうそろそろだなと思ってから、気が緩んだらしい。
女子生徒が叫んだ。「どうして海が見えるの?」
ん? 見えるはずが、な --- 左手に海が見える。
生徒は驚いても、私は驚かない。私の運転はいつもこうである。通り過ぎた。
次のインターで降り、引き返した。
無事着いて、2日目の夜のことだ。
その日の課題も終わり、夜11時ごろだったと思う。
男子生徒数人が、クワガタを採ると言って、外に出て行った。
ここは山の別荘地、外は漆黒の闇である。
女子生徒達は隣の部屋で、寝る用意を始めている。
ゆっくりとした時間である。のんびりしていた。
突然、一人の男子生徒が、血相を変えて帰ってきた。
「やーさんが」
すわー、---ヤクザに絡まれたか。
個人的には、あまりかかわりを持ちたくないが、教師としては肝は据わっているつもりだ。
生徒が絡まれているからには、助け出さなければならない。
生徒のあとを、現場に急いだ。
生徒の一人が、坂の上に倒れていた。
やーさん(ヤクザ)はいない。
いや、いる。
倒れている本人が、「やーさん」である。
あだ名を「やーさん」という。
それはいつも生徒たちが言うのを聞いて知っている。
「やーさん」をヤクザと思ったのは、自分の臆病のなせる業である。
意識のはっきりしない生徒を抱えて、まずは合宿所に連れ帰った。
救急車を待っている間に、生徒から経緯を聞いた。
暗闇の中、驚かしたらしい。
懐中電灯を持っているのは一人しかいなかった。
そいつが、自分の顔を懐中電灯で下から照らし、当の生徒の前に急に現れたのである。
気絶した。ばったり倒れてしまった。
「やーさんが」と知らせに来たのが、懐中電灯の生徒である。
まあ仕方がない。
生徒達には、「症状が重いようなら、合宿を切り上げ帰るから、整頓しておいてくれ」と頼み、付き添って救急車に乗った。
隣町の病院で診断を受け、事情が分かった。
時々発作を起こす持病を持っていたのである。
緊張してはいけないのに、驚かされて、緊張が極みに達してしまった。
打ち明けることも出来ず、おおごとになり本人が一番つらかったと思います。
合宿は中断することなく、最後までやりました。
良い気分でマイクロバスを走らせていました。
合宿です。総勢10数人。高校3年の受験生を連れて西伊豆、土肥の近くの合宿所に向かっている。
沼津インターで降りる予定です。
もうそろそろだなと思ってから、気が緩んだらしい。
女子生徒が叫んだ。「どうして海が見えるの?」
ん? 見えるはずが、な --- 左手に海が見える。
生徒は驚いても、私は驚かない。私の運転はいつもこうである。通り過ぎた。
次のインターで降り、引き返した。
無事着いて、2日目の夜のことだ。
その日の課題も終わり、夜11時ごろだったと思う。
男子生徒数人が、クワガタを採ると言って、外に出て行った。
ここは山の別荘地、外は漆黒の闇である。
女子生徒達は隣の部屋で、寝る用意を始めている。
ゆっくりとした時間である。のんびりしていた。
突然、一人の男子生徒が、血相を変えて帰ってきた。
「やーさんが」
すわー、---ヤクザに絡まれたか。
個人的には、あまりかかわりを持ちたくないが、教師としては肝は据わっているつもりだ。
生徒が絡まれているからには、助け出さなければならない。
生徒のあとを、現場に急いだ。
生徒の一人が、坂の上に倒れていた。
やーさん(ヤクザ)はいない。
いや、いる。
倒れている本人が、「やーさん」である。
あだ名を「やーさん」という。
それはいつも生徒たちが言うのを聞いて知っている。
「やーさん」をヤクザと思ったのは、自分の臆病のなせる業である。
意識のはっきりしない生徒を抱えて、まずは合宿所に連れ帰った。
救急車を待っている間に、生徒から経緯を聞いた。
暗闇の中、驚かしたらしい。
懐中電灯を持っているのは一人しかいなかった。
そいつが、自分の顔を懐中電灯で下から照らし、当の生徒の前に急に現れたのである。
気絶した。ばったり倒れてしまった。
「やーさんが」と知らせに来たのが、懐中電灯の生徒である。
まあ仕方がない。
生徒達には、「症状が重いようなら、合宿を切り上げ帰るから、整頓しておいてくれ」と頼み、付き添って救急車に乗った。
隣町の病院で診断を受け、事情が分かった。
時々発作を起こす持病を持っていたのである。
緊張してはいけないのに、驚かされて、緊張が極みに達してしまった。
打ち明けることも出来ず、おおごとになり本人が一番つらかったと思います。
合宿は中断することなく、最後までやりました。