2008年03月

2008年03月26日

秒殺

先日、何の気なしにテレビを見ていたら、徹子の部屋をやっていました。

脳の専門家がゲストでした。

黒柳徹子さん、自分が不思議に思っていることを話し出しました。


「舞台を見に行くと、始まって何秒かで、良い舞台かどうかがわかってしまう。あれはどういう加減なんでしょうかね」


そんな内容でした。


面白いな、と思いましたが、その脳の専門家は、反応することなく、話を流してしまいました。

考えてみれば、そんなこと脳との関係で説明するなど、至難の業ですね。

私は舞台の鑑賞についてはわかりません。

ほとんど舞台を見たことがないのです。

ただ、徹子さん、本当のことを言っているのだろうことはわかります。


私も映画は好きでしたので、よく見ました。

タイトルが出てくる前の何秒間かで、見る価値がある映画かどうかがわかってしまうのです。

かつて、映画評論家が権威を持っていたころ、盛んにテレビに出てきて、新作映画の宣伝に一役買っていました。

盛んにほめるので、見に行くと、最初の何秒かで、ガッカリしてしまうのです。

お金を払って、見に行ったのですから、最後まで見ましたが、まあ苦痛でしたね。

2度3度と重なるうちに、映画評論家の言うことは信じなくなりました。

音の評論家たちの言うことを信じなくなったのも、同じような経緯ですね。

こっちのほうが損をする額が大きいですから、罪は重いですが。


今は、テレビで映画評論家を見ることはなくなりました。

化けの皮が剥がれて、誰も信じなくなってしまいました。

代わりに、素人に言わせていますね。

最も見たくない光景ですが。

素人なら、とっかえひっかえ補充がきくし、何とでも言ってくれるので都合が良いのでしょう。


まあ、そんなことはどうでもいいのです。

なぜ、最初の何秒かで、舞台や映画の良し悪しがわかってしまうかです。

たぶん、作り手たちの情熱や、真摯さを、数秒のうちに察知するのです。

舞台や画面に、作り手たちの人間性が満ち満ちているのです。

人間は人間が大好きですから、作り手たちの人間性を感じ、思想信条は違っているとしても、作り手の覚悟に導かれ、くるまれながら舞台や映画を鑑賞して行きます。

それなしに、金をかけたとか言われても、つまらないものはつまりません。


音も同じですね。鳴り始めた瞬間に、良い音はわかります。

まさに秒殺です。

殺すのは作り手、殺されるほうが私です。

ただ、私には、その良さを解析する能力がありません。

そんな能力は要らないと思いつつ、やはり必要かなとも思います。

まあ、無いものは仕様がありません。


オーディオの場合も、その音を作り上げた人間を感じているのかもしれません。

ただ、音作りには、自分自身も参加できるところが、オーディオの面白いところです。

gtkaudio at 05:07|PermalinkComments(0)オーディオ 

2008年03月01日

音の良さ

私たちオーディオ好きを捉えて放さない音の良さとは何なのかと考え続けています。

そのことが少々鬱懐になっておりますので、不完全なもので申し訳ございませんが、書いてみます。

2つ前のブログで、オーディオは文学に近いと書きました。

まずはそこらあたりから始めます。



ある作家が、「文学は、人間や、人間が作っている世間への理屈をこえた情趣や、あるいは論理でもって言い表しがたいなにごとかを言語で書くもの」と述べていますが、まさにその通りだと思います。

小説の筋を追うだけではなく、そこから醸し出される情緒感や力強さを感じながら、私たちは、文章を読む喜びを得ているはずです。

そうでなければ、筋のわかった同じ小説を何度も読み、そのつど感動するなどということはあり得ません。



音の良さを語ろうとするのに、なぜ文学から語り始めなければならないのでしょう。

音の良さについて語ることが難しいからです。



難しいと感じる原因は、音が聴覚と直接結びついているからだと思います。

音は訓練することなしに聴くことができます。

残念ながら、音の良さを聴覚と切り離して考える人は、ほとんどいません。



文学は、まず文字を覚えるところから始めなければなりません。

文学を鑑賞する喜びが、直接視覚と結びついていると考える人はあまりいないと思います。

文学は、文字という記号を媒介にして、その喜びを得ていますから、視覚と区別をしやすいのです。

文学の喜びは、脳で感じているといっても異存は無いはずです。



私は、以前のブログにも書きましたが、音の良さを判断する際、文学と同様、聴覚と切り離し、脳で感じている部分を大事にすべきではないかと思っております。

そうでなければ、「ああ、みずみずしい音だ」とか、「情緒感のある音だ」とか、「力強い音だ」と感じるはずがありません。

多くのオーディオマニアは、無意識のうちに、これこそを求めているはずです。

その作業は脳で行われています。



CDよりもレコードプレーヤー、トランジスタアンプよりも真空管アンプ。

測定すれば劣るはずの機器をわざわざ使うのは、このせいです。

レコードプレーヤーや、真空管アンプのほうが、性能は劣っているとしても、それらを感じる頻度が高いからではないでしょうか。



音の良さは、耳ではなく、脳で判断されています。

その判断の基準は、個人的な体験や、その属している文化や歴史と深く結びついているものです。

gtkaudio at 03:15|PermalinkComments(0)オーディオ