2015年09月06日
他人(ひと)の心を読む
25年続けていた塾をやめるころの話である。
高校3年生の英語授業を受けていたのは、女子高生一人だった。
個人授業になっていた。
中学から私の塾に来ていた。
地元では一番上の高校に合格して、塾には来なくなっていたけれど、高3になって復帰した。
お嬢さんタイプの美人だった。
家での課題として、入試読解文を読んできて、全文の和訳を私がつけてあげていた。
英語は優秀だったので、京都大学の2次試験問題を課題として出した。
私は内容を読んでいなかった。
授業前に読んでおこうと思い、私が予習しているときである。
シマッタと思った。
内容が硬すぎるのである。
思想的内容の論理が展開されていた。
授業である。
分からなかったろうと恐る恐る聞いてみた。
分かったというのである。
内容を聴いてもちゃんと分かっている。
見直してしまった。褒めるしかなかった。
翻訳する必要もない。
時間が余ってしまった。
私立の問題を、ぶっつけで読ませることにした。
私も、読んでみた。
小説的文章で、易しいと思った。
内容はこうである。
娘が、一人暮らしをしている年老いた母親を、月に一度車で食事に連れていく。
その帰り道、車内の描写である。
母親は、口数少なく、寂しそうにしている。
娘が、母親を思いやる良い文章であった。
大丈夫だろう。
反応が予想したものではなかった。
「よくわからない」
「え?どこが}
「お母さんが、寂しそうにしているところが」
ああ、英語の問題ではない。
「お母さんは、月に1度の外食を楽しみにしているんだ、それが終わろうとしているんだよ」
まだしっくりきていないようだ。
「俺が小学生のころ、土曜日は午前中授業があった。土曜日の午後が一番うれしかった。自由な時間が来たんだ」
「日曜日の夜、憂鬱な気分になるんだよ、自由な時が終わろうとしているんだ」
分かってくれた。
それにしても何だろう。
頭はいいのに、これぐらいのことが感じられないのか。
一緒にいても、相手が何を考えているかを、感じる人と感じない人があるらしい。
私の付き合う友人たちは、当然感じる人たちだから、このような人間に会うと驚いてしまう。
若いからではない。年を取った人にもいる。
町内会の人と話す機会があった時、
「他人の本当の気持ちぐらい、口ぶりとかしぐさで分かるでしょう」と私が言ったら、
「そんな馬鹿な、相手の気持ちなんかわかるはずがない」と、真っ向否定された。
友人に、このことを話したら、
「そういう人間は、こちらが気付いていないと思うから困る。とんでもないことを思いつくんだ」
その通りである。
見え見えのことを、さもよい方法を見つけたとばかりにやってくるから驚いてしまう。
自分のレベルでしか判断できないから、こちらが分からないと思っているのである。
こちらとしては、呆れてしまって、表ざたにしないだけのことなのに。
相手は、やったぜとばかり、得意になっている。
本当に、この種の人間とつきあうのは馬鹿バカしい。
gtkaudio at 21:47│Comments(0)│友人列伝








