音について感じるということ、あるいは芸術について

2015年08月21日

振り回す人間、振り回される人間


どうも人間には、振り回す人間と、振り回される人間の2種類があるらしい。

私は、完全に振り回される人間である。

この夏こんなことがあった。


高校時代の友人から、いつもの3人で沖縄に行こうと誘われた。

私は動くことが苦手である。

せっかくの誘いだったが、今回はやめておくと断った。


誘ってくれた友人も、納得しているはずだった。



なんか変なのである。

出発の日が近づくと、その友人から、沖縄旅行の予定を知らせてくるようになった。

どうも私も行くことになっているようなのである。

不安になって訊いてみた。

「ところで俺は行くのかい」

友人、ツラーとして、こたえた。

「行くよー」

うーん、そうか俺も行くのか。


行ってきた。

有意義な旅行だった。



浜松在住、大学時代の友人から電話があり、3人で伊豆の別荘に行こうと誘いがあった。

私は動くことが苦手である。

もう一人の友人は、カナダ在住の娘に子供が生まれて、いろいろ忙しそうだから、駄目だと思うと話しておいた。

電話をして、明日結果を知らせるとのことだった。

次の日、店に来る時間になっても電話がなかった。

不調だったのかと、もう一人の友人に電話をしてみた。

電話があった時、奥さんの実家から帰る新幹線の車中で、出られなかったとのことだった。

昨日帰ってきて疲れているだろうから、今回の伊豆行はなさそうだ。

安心して、誘ってくれた友人に伝えた。

電話をしてみるという。



店でゆっくりしていると、電話が鳴った。

誘ってくれた友人からだった。

「これから出発する」

「えー、今日はお客さんが来店することになっているんだ」

「10時以降なら大丈夫だろう」

「なにも用意していない。サンダル履きだぜ」

「何もなくていい、用意は俺がしてある」



浜松を出発して、東京の聖跡桜ヶ丘で友人を乗せ、江東区古石場の私を拾い、伊豆に向かうというのだ。

異常な奴だ。

もう一人だってそうだ。

昨日石巻から帰ってきて、今日伊豆に行くというのか。

この二人、私が危惧していた「動いたっきり老人」になってしまっている。

ただ一人正常な私は、振り回されるのである。



結局、伊豆に行ってきた。

面白かったけど。

浜松の友人がのたまわった。

「どこかに行こうと思いつくと、ワクワクするんだ」

うん、やはり異常だ。

お願いだ,ワクワクしないでくれ。



人間には、振り回す人間と、振り回される人間の2種類が存在する。

私は、振り回される人間である。


gtkaudio at 01:02│Comments(0)友人列伝 

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