2015年08月01日
音について
私の場合、音の良し悪しは、聴き始めて数秒で決まる。
なんら特殊な能力ではない。
私の店の懇意のお客様は、ほとんどがそういう方たちである。
そういう方たちしか、私の音を気に入ってくださらないともいえる。
だから話が早い。
理論と論理を駆使して、音を語る人たち、それでいて大した音も出せない人たちが多すぎる。
音の良さを科学的に説明してほしいという。
音の良さに理由が必要なんですか。
音を聴けば、すぐにわかることなのに。
感じればよいだけである。
私は、音は芸術であると思っている。
ただ、この芸術の「術」が曲者である。
まるで、素晴らしい芸術作品を創り出す術(すべ)があるかのように感じさせる。
すべがあろうはずがない。
芸術は個々の人間の表出なのだから。
いやな言葉だけれど、芸術の前に、「高尚な」という修飾語が付く。
私は、芸術は官能を刺激するもの、ととらえている。
その喜びは、性的な喜びに似ている。
性的喜びに、「高尚な」という表現はふさわしくないと思う。
高尚なセックスなど、勘弁してほしい。
かつて、岡本太郎がテレビに登場し、目をひん剥いて、「芸術は爆発だ」と叫んでいるのを見た。
私は美術的能力が全くない。
だから、この人は異常な人か奇を衒う人かのどちらかであろうと思った。
今は何が言いたかったのかが分かる気がする。
人間の中から出てくる爆発なのである。
芸術は、理路整然と出来上がるものではない。
その人の感覚にかかっているのだ。
小津安二郎の言葉を借りるなら、
「文法はない」のである。
gtkaudio at 21:19│Comments(0)│欧米人