2009年03月26日
研究室の決定
大学4年になっていました。
3年から専門が始まり、最初の何回かは授業に出ましたが、どうも体に合わないらしく、出席した日は疲れがひどくなります。
体のことを考えて、自主休講ということにしました。
ほとんど1年間授業には出ていませんでした。
ある日、学生同士で決めたいことがあるとのことで、出席するようにと友人から連絡が入りました。
学科の学生控え室に行ってみました。
学科にある4つの研究室のどこに所属するかを、学生が決めるのだそうです。
異様なことに、私以外の学生たちは、行きたい研究室があるようなのです。
私には、意思がありません。どんな研究室があるかも知りません。
パチンコ球のように、弾かれ弾かれ、最後に空いた穴にぽとりと落ちればよいのです。
「あんたらで決めて、残った所へ俺は入る」と云って、他の学生が決めるのを待っていました。
それにしても、学生が決めるというのは良かったとしか言いようがありません。
教授たちに決めさせたら、私はドッジボールのボール状態になっているところでした。
ボールが飛んでくると教授たちはよけます。
受け取ったとしても、すぐに他の教授にぶつけようとします。
私は永遠に受け入れてもらえない。
学生が決めるのですから、どこかには受け入れてもらえるということです。
私には、意思はないのです。どこでもいい。
さて決まったようです。
ということは、私の研究室も決まったことになります。
同じ研究室に入る学生は、4人で、もと山岳部部長の友人もいます。
学科唯一の女子学生も同僚になりました。
この研究室で卒論を仕上げることになります。
卒論はちゃんとやろうと思っていました。
方針は決まっています。
私は肉体労働に終始するつもりです。
私の頭はあまり使いものになりませし、使う気にもなりません。
周りに優秀な頭がごろごろしていますから、それを使います。
なに、ちょっと笑わせてあげれば、どんどん貸してくれるはずです。
3年から専門が始まり、最初の何回かは授業に出ましたが、どうも体に合わないらしく、出席した日は疲れがひどくなります。
体のことを考えて、自主休講ということにしました。
ほとんど1年間授業には出ていませんでした。
ある日、学生同士で決めたいことがあるとのことで、出席するようにと友人から連絡が入りました。
学科の学生控え室に行ってみました。
学科にある4つの研究室のどこに所属するかを、学生が決めるのだそうです。
異様なことに、私以外の学生たちは、行きたい研究室があるようなのです。
私には、意思がありません。どんな研究室があるかも知りません。
パチンコ球のように、弾かれ弾かれ、最後に空いた穴にぽとりと落ちればよいのです。
「あんたらで決めて、残った所へ俺は入る」と云って、他の学生が決めるのを待っていました。
それにしても、学生が決めるというのは良かったとしか言いようがありません。
教授たちに決めさせたら、私はドッジボールのボール状態になっているところでした。
ボールが飛んでくると教授たちはよけます。
受け取ったとしても、すぐに他の教授にぶつけようとします。
私は永遠に受け入れてもらえない。
学生が決めるのですから、どこかには受け入れてもらえるということです。
私には、意思はないのです。どこでもいい。
さて決まったようです。
ということは、私の研究室も決まったことになります。
同じ研究室に入る学生は、4人で、もと山岳部部長の友人もいます。
学科唯一の女子学生も同僚になりました。
この研究室で卒論を仕上げることになります。
卒論はちゃんとやろうと思っていました。
方針は決まっています。
私は肉体労働に終始するつもりです。
私の頭はあまり使いものになりませし、使う気にもなりません。
周りに優秀な頭がごろごろしていますから、それを使います。
なに、ちょっと笑わせてあげれば、どんどん貸してくれるはずです。
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